とあるご縁で、神奈川県内の公立高校の数学の授業を拝見する機会があり、そこで興味深い経験をしました。 この高校は偏差値が42程度で、やはり勉強に意欲的になれない生徒が多いのですが、見せていただいた授業は特に数学が苦手な生徒が受講する選択科目でした。教室にいる生徒は3人のみです。小学校のかけ算九九はおろか、足し算引き算も指を使って数えながら計算しないと分からない、という状態の生徒さんです。 その授業では「引き算の筆算の手順をお互いに説明し合う」という活動が行われました。
(これは、私が以前Facebookに投稿した記事のコピーです。) ぼちぼち、予備校の生徒たちの卒業シーズンになります。 最後の授業では、講師が受験生に激励のメッセージを伝える慣習がありますが、僕は毎年、この本を勧めることで受験生へのメッセージの代わりとしています。僕が伝えたいことは、この本に集約されています。 著者の吉見俊哉先生は東京大学の副学長を務められ、社会学のご専門でしたが、昨年退職なされました。安田講堂から無観客配信された「最終講義」のアーカイブも拝見しましたが
(これは、以前私のFaceBookに投稿した記事のコピーです) 先日、いつも良くしていただいている埼玉大学のF先生がFacebookにて、ちょっと面白そうな企画の構想を述べておられました(物凄く端的に言えば、現代版「生活綴方」と音楽の融合、みたいな)。またこれも同じ日に、僕のパートナーがたまたま歌舞伎町を通ったらしく、そこで色々と感じることがあったそう。 こういう色んな偶然が重なり、僕が大学1年生のときに思いついたある構想が蘇ってきました。もっとも、この構想自体が後の僕の「
僕はプラモデルを組むとき、説明書を読む習慣があまりありません。だいたいはそれでもうまくいくのですが、たまに途中でうまくいかなくなって、説明書を見たら順序が違ったということがあります。そのとき初めて、説明書で示されている組み立ての順序に深く納得するのです。 それはさておき、僕は思うのですが、(少なくとも学生のうちは、の話ですが)「チョット良くなかったな」という経験が必要なんだと思います。あるいは、「チョット良くなかったな」を極度に恐れない方がよいということです。 色々