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人より物より自然に向き合いたい気持ち

ひとづきあいが苦手だなぁ

モノ作りをするタイプでもないなぁ

人でもない、物でもない、だけど自然を相手にするのは当たり前のように自分に染み込んでくる。

自然は人間を寛容に受け入れてくれる。少しの間違いをしても、身だしなみを整えなくとも、誇れる何かがなくとも、無言で寛容に迎え入れてくれる。

誰かに興味のないことで注意をされても「知らんがな」と思って流してしまうけど、

コンポストをかき混ぜずに野菜くずが変に腐ってしまったときは素直に「あぁ、ちゃんとかき混ぜないと。」と反省する。

自然が無言で教えてくれることは、すっと心に入ってくる。人が言うことにはあまり興味がないのに。自然様の無言の言葉は心にストンと落ちてくる。

自然の循環の中で生きていくと思えば、死ぬことへの怖さもゆるむ。むしろ死ぬことは元いた世界に戻ることであり、ようやく現在の自分が完成するためのスタートラインとも考えられる。人生の総まとめが死だと思える。次はどんなものとして魂をやっていくのだろう。

自然に向き合いたい気持ちを少しずつ仕事にも反映できたらいい。理由は魂を使って生きる時間が少しでも増えたら本望だから。わたしだって本当は心の底からの魂を使った仕事がしたい。だけど仕事というものはたいてい、対象物や仕事のジャンルよりも、人間関係がネックになるものだ。だから自然に向き合う仕事ができたらいいなぁとは思うものの、たとえば今すぐに農家の仕事をしよう、などとは思わない。人間関係がややこしくなり、わたし個人の快適性が損なわれること、それは避けたい。

自然というか、世界の全体性の中で生きたい。自我、わたしが、周りの人が、地域がなどという中途半端な区切りによる意志じゃなくて、全体性から見たときに自然な形におさまるような働きかけをしたい。それさえも「わたしが思う自然な形」でしかないのだけども。

最近、土の記事を読んで涙が出た。土中改善の本を読んで心が震えた。長い年月をかけて変わってゆく土の世界に泣けてくる。泣けるってことは、人生のヒントが多少なりとも眠っているのではないか。

自分の心が反応するものを大切にしたい。魂を使う時間を少しずつ増やすんだ。


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