「苦手だけどやること」と「苦手だしやらないこと」の間

テキストオンリーで占い鑑定サービスをやってるけど、3月から対面鑑定も始める予定の29歳女です。

「苦手だけどやること」と「苦手だしやらないこと」の違いや、苦手だけどやることの基準についてモヤモヤと考えていた。

なぜかといえば、対面鑑定はおそらく「苦手なこと」に分類されるから。お客さん相手にその場のアドリブで話を進めるのは、今のところ自信がないし、向いてる気もしない。

そもそも占いを仕事にしたいと思ったのも、時間と場所に縛られずにマイペースでやれるから、という要素がある。

だからもはや対面鑑定は、最初に思っていた「占いが自分に合ってる理由」から逸れている。時間と場所に縛られてしまうわけだから、当初思い描いた「占い師のメリット」を飛び越えちゃってる。

なぜ飛び越えてまでやるのかといえば、占い師をやっていくのであれば対面鑑定をやった方が幅が広がるし、知見も貯まるし、自分の苦手を飛び越える機会になると思ったから。

「時間と場所に縛られない仕事」よりも、占い師としての形をつくる方を優先するべきだと思ったから。これは目的から逸れてることになるんだろうか。それとも範囲を広げて、目標をストレッチさせた感じになるんだろうか。

自分ひとりで考えていたら、対面鑑定はやらなかったと思う。「ぜひここでやりなよ」と誘われたから、誘われるならやってみてもいいかも、と思った。

誘われたからやってみてもいいかも、なんて、となりの雑談の「プール理論」になっちゃうかな。うーん、でも苦手を飛び越えるときって、「人に誘われたから」みたいなきっかけが大事だったりするよなぁ。あくまでも他者は「きっかけ」で、主体性がある場合は、自分のプールを泳いでることになるんだろうか。

自分のことを「自分の仕事づくりを頑張り中」と言えばいいのか、堂々と「占い師です」と言えばいいのか、スタンスもよく分からなくなってくる。

お金をもらってやってるけど、一生勉強中ともいえるから、すでにプロとも言えるし、一生修行中とも言える。何もかもがそんな感じ。いつもそんな感じ。ライターをやってる時も、教育のバイトをしてた時も、つねに「一生修行だからプロとは呼べないのかな」と考えていた。そう考えるよりだったら、自分はプロだと言い聞かせて、価値提供して、経験も知識も積み重ねた方がいいよね。

目的から逸れていなければ、苦手なことでもやっていいはず。逆に目的から逸れていれば、得意なことでもやる必要はない。「自分の仕事づくり」においては、基準はそこだろう。

せっかく自由なんだから、得意なことに執着しないで、目的に合ったものを選んでいきたい。ヒリヒリする方を選んだ方が、自分にとってプラスになるだろう。

毎日投稿440日目。


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