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分業せずに丸ごとやった方が生きる自信がわいてくる

田舎暮らしをする中で思ったことがある。

それは、何でもかんでも分業にするから生きていく自信が失われるのではないか、つまらなくなってくるのではないか、ということ。

逆に言えば、分業せず・人任せにずに丸ごと自分でやってみることで、生きていく自信が持てるし、楽しくなるのではないか。

たとえば家庭菜園。

現代は基本的に分業だから、野菜はスーパーで買うのが基本だ。

買うにはお金が必要。

お金を得るためには労働などが必要。接客業かもしれないし、工場勤務かもしれないし、データ入力の事務職かもしれない。

「野菜を手に入れたいこと」と「通勤して事務職としてデータ入力をすること」は、本来かなり遠い行為である。

野菜が欲しいなら自分で野菜を作るか、作ってる人から受け取るのが自然である。直接的だし、近い。

でも分業が基本になっているから、野菜から遠く離れた「データ入力」という行為をしながら、過去に働いた分のお金を受け取り、それで野菜を購入して食べる。これが普通だ。

食べるためには労働が必須になっているから、何かの理由により労働をやめたくても「食べられなくなるのでは」という恐怖心が出てきて、やめられない。

本当は野菜を食べるには野菜を作ればいいだけなのに、やたら分業的で、暮らしが間接的で、仕組みから外れると生きていけないような疎外感が出てきてしまう。

分業・間接的なせいで、やたら複雑な形になっているように思う。生きることって本来、そんなに複雑なのだろうか?

生ゴミの処理もそう。

生ゴミを処理するには有料の袋を買い、決められた曜日に出す必要がある。

ゴミを出すのにお金がかかるし、曜日を覚えて規則正しく暮らさなきゃならない。

ゴミのもとになる物を買い、ゴミを捨てるのにお金を払う。なんだか二重でお金を徴収されている感じがする。(余談:所得税と消費税も二重な感じがして不思議だなと思っている。)

自宅にコンポスター(生ゴミを堆肥化するもの)があれば、生ゴミを処理するのにお金はかからない。曜日や時間帯を気にする必要もない。

自分で作った野菜の皮を捨てるなら、野菜もほぼ無料で、ゴミ出しも無料。お金を二重で徴収されることもなくなるし、無料かつ自分で処理できるから、マイペースに生きていける。

分業せずにトータル的に丸ごとやってみると、お金をかけずにマイペースにできることが多いように思う。

お金もかからないし急かされることもないから、メンタル的にも安定してくる。

お金がかからないことや、マイペースに自分でやっていくことはメンタルにとってありがたいことだ。

子供に説明できるくらい意味の分かりやすい行為をしながら、シンプルに生きよう。

具体的で細かい例を挙げたけど、実際の世の中は、こういうことを積み重ねてもう少し抽象的にした形になっていると思う。

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