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毎日投稿を始めてから半年経ったのでテーマを絞る

2022年11月下旬に毎日投稿を始めてから半年経った。

ただ忘れずに書く、中身は何でもいい、とにかく決めたことを忘れないでやる、を意識していた。それだけのハードルの低さ。だから続いた。

だけどテーマがないと、向かう先がなく、エネルギーを浪費して終わってしまう。やっつけ仕事になってしまう。そろそろテーマを絞ろう。

テーマは

働きたくない人間の働き方研究

田舎暮らしはじめました

この2つに絞ろう。

仕事の日(月火金)は働き方について、

仕事じゃない日(水木土日)は田舎暮らしについて書いてみる。

🍙

今日気になったツイート。

このツイートを見た感想は、「分かる」。

わたしもまさに「働くのが向いてない」「働きたくない」と、デカいものをまとめて毛嫌いしてきた。

ここ最近は、さいわいなことに、働くこと全般が無理というわけでもないと気づいたけど。

noteのテーマとして「働きたくない人間の働き方研究」を選んでいるのは、このツイートのように、細分化を試みている証拠だ。

学生時代のアルバイトすら満足にこなせなかったから、「働くのは無理」というイメージがあった。不登校経験もあるので、「働くっていうか、社会全般が無理」とも思っていた。中学生の頃は「皆が生きてるなら自分が死ぬ、自分が生きるなら皆死んでくれ」と思っていた。主語が大きい。働くことも社会も皆も、哲学の本かってくらい主語が大きい。主語を大きくしたり、白黒で判断するのは、自分のことを幸せにはしないし、むしろ生きづらくさせる。(ASDの人は要注意の思考パターンだ。)

働くことの無理さは何に由来しているのか考えると、人目を気にして疲れるとか、不快感に耐えられないとか、何ができるのか分からない曖昧な自分でいることが居心地悪いとか、興味ないことに取り組めないとか、そういったことだ。

で、これらは働くことをやめれば解決するかといえば、そんなことはない。働くことをやめれば人生が好転するかといえば、全然そんなことはない。

これらを回避してしまうと、仕事どころか、何かをすることや人と関わることが全部無理ってことになり、人生が何も進まない。

人生を進めて、楽しく生きるには、回避できないのだ。

「働かない」を選択したところで、思い描く方向に進むわけじゃないって思えた。だったら働いてもいいや、となった。回避して切り抜けるのをやめようと思えた。

働くのが平気になった今、次にやっていきたいのは「どんな仕事が楽しいのか実験すること」と「どんな人に対して、何で役立てるのか実験すること」。

マイナスから0には持ってこれたから、次はプラスに持っていきたい。

「楽しい」と「やりがいがある」のどちらかくらいは、自信を持って感じていたい。

働くこととコーピングについて、すごく興味がある。興味があると言うまでもなく、10年以上ずっと考えている。そういう自然に長い間やってしまっていることを、大事にして、なにかに活用していきたい。

「働きたくない」と大きくくくったはずなのに、諦めの悪い人間である。自己理解や細分化をしながら、まだまだ旅している。

毎日投稿181日目。

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