日常の中で、だらだら仕事する/楽しい仕事を仕事と認めてくれない自分

仕事するときは、集中力のあるときにきっちりやりたい派だった29歳女です。

フリーランスや在宅ワークを5年くらいやってきて、仕事は集中力のあるときに・事前に決めた時間の中でやってきた。

ただこれだと、集中できないときは開き直ってまったく仕事をしなかったり、事前に仕事時間を確保していないときはいくら仕事が増えようが仕事をやるという発想にならなかったり、白黒的な事態になっていた。予定通りのスケジュールしか許せないという、(そして予定通りいかないと、プチパニックを起こして放棄するという)ASD的こだわりの強さがあるのだ。

べつに集中できなくても、6割の集中力で取り組んでもいいのに。休みの日に仕事したっていいのに。頭では分かってたし、それができる人のことを「自然体でいいなぁ〜、ありゃ仕事しやすそうだな〜」と思ってた。

自分の白黒思考に疲れてしまったので、グレーを許可する練習のため、今日は休みのテンションで仕事に取り組んでみた。意識的に、生活タイムと仕事タイムの垣根を無くしてみたというか。毎日が休みで、その中で好きで仕事をやる意識というか。

そしたら意外と平気で、25分くらいの集中力が何回かやってくる感じで、よかった。今日の仕事内容は、友達から頼まれた簡単な作業&占い鑑定&頭を使わない仕事だったから、よかったのかもしれないけど。エネルギーを使わない仕事なら、生活の中でなんとなくやっても大丈夫かもしれない。

あと、納期が厳密じゃなかったり、急がなくてよかったり、誰も待たせないような仕事のスタイルは自分に合ってるなと思った。納品日だけを決めて、その間は遊ぼうが寝ようが出かけようが、なんでもいいスタイル。即レスが不要なスタイル。

とにかくスケジュール的にも、関わる人的にも、内容的にも、気分的に生活と仕事を分けなくていいスタイルにしたい。気分的にというのが重要である。仕事臭のしないものを、やりたいのである。

いくら自由でもやりたくない作業なら仕事臭がするし、いくら好きなことでも知らない人から頼まれたら仕事臭がする。いかに仕事臭のない仕事を自分にあたえるか。これが大事だ。

気分的に生活と仕事の垣根がなく、仕事臭のない仕事を、仕事にすること。これが今の願望である。今日は願望通りに過ごせたのでよかった。

親に「今日は仕事してたの?」と聞かれた時に「仕事っていうか、占い鑑定と友達に頼まれた作業だから仕事っていうか趣味っていうか手伝いっていうか〜……まぁ仕事か」と答えた。なんとも歯切れが悪い。

わたしの中に、仕事=嫌なもの、もしくは人からガチガチに依頼されているものという思い込みがあるせいで、楽しかったり、ストレスがなかったり、気楽な仕事のことを「仕事」と認定していいのかためらいがあったのだ。

やりたいことができてるんだから、「楽しいから仕事なのか分からん」とか「まだ本格的な収益になってないから仕事なのか分からん」とか言わないで、堂々と「ストレスのない楽しい仕事をしてるぜ」と、言ってくれ。自分のことを、「仕事が嫌いな人」だと思いこんで、諦めないでくれ。たぶんそんなことはない、希望を持て。

よかったこと
・好きなスケジュールで仕事できた
・寿司を食べた
・湯船につかった
・朝読書できた
・数日ぶりに日記を書けた

何年も働き方を実験しながら、つねに自分と対話しながら、螺旋階段を登ってる感じがして、面白いね。同じ景色に戻ってしまったと思うこともたまにあるけど、同じ場所でぐるぐるしてるわけじゃなくて、わたしは螺旋階段を登っているのだ。

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