「カフェで仕事する」は幸せなのか?
「カフェで仕事OK!」という文字が目立つインスタ広告を見かけると、疑問がわいてくる。「一番の推しポイントが『カフェで仕事OK』なの?そんなに魅力的なことか?」と思ってしまうからだ。
一方で、X(旧Twitter)を見ていると、「カフェで仕事」を嫌がる人たちもいる。「カフェで仕事するなんて、情報がダダ漏れすぎてヤバイ」「カフェはゆっくり過ごしたり喋ったりする場所で、作業場所ではない」と。やたら嫌われている感じがして、気まずい。なんかごめん。
カフェで仕事したくてカフェに行くというよりは、家だとどうしても集中できない時や、テンションをちょっとでも上げたい時にカフェに行く。どちらかといえば、仕方なくカフェで仕事している。広告に出てくるほど、最高なものとしてカフェで仕事しているわけではない。
「カフェで仕事するな」という意見に共感する部分もある。たとえば明らかに情報が漏れるようなWeb会議をしたり、FreeWi-Fiを使ってクライアントワークをしたりするのは微妙だ。仕事相手にも、カフェにいる人にも迷惑をかける可能性がある。
Web会議はしない。個人でモバイルWi-Fiを契約する。混雑時はすぐに帰る。こういった心がけは必要だろう。
「カフェで仕事する」は幸せなのか?という本題に戻る。
「進んでカフェに行ってるわけじゃない」とはいえ、場所と時間を自由に決められることには幸せを感じる。
「学校は休んだり遅刻したりするけど、勉強はコツコツできる」というタイプの不登校だったわたしは、今でも時間と場所を固定されることが苦手だ。
時間と場所が決まった働き方をすると、どうしても「決まった時間に決まった場所へ行く」を守れない日が出てきて、罪悪感に心を支配される。無理やり出勤すると、疲労でそれ以外のことができなくなる。日々が全体的にモヤーっとした雲に覆われる。自己肯定感が下がってしまう。
今の働き方は、時間や場所は自由。業務をこなせば、OK。この働き方は「不登校のままでいいよ、勉強だけやってくれたらいいよ」と言われているようで、気楽だ。元不登校のわたしが、罪悪感を感じずに生きられる形。
「罪悪感を感じずに仕事できる」という意味では、カフェで仕事できるのは幸せだ。でもそれは、自分に合った働き方を実現できていることのほんの一場面に過ぎない。
欲を言えば「レストラン併設のコワーキングスペースが近所にある」とか、「そこに知り合いがいっぱい来る」とか、もっと理想的な作業環境はいろいろある。
でもそんなことにはならないので、家で仕事したり、コメダにお邪魔したり、コワーキングスペースを利用したり。ぼちぼちマイペースに仕事をするまでである。
それぞれが好きな形で働けるようになったらいい。