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米国同時多発テロ事件から21年、あの日と今日は繋がっているという話。

2001.9.11。今から21年前、米国同時多発テロ事件が勃発しました。あの信じがたい映像とともに、私の会社は瞬く間に厳しい経営状況に陥りました。海外出張専門の旅行会社の経営陣のひとりとして仕事をしていたのですが、1週間くらいで当時の予約はほぼキャンセルとなりました。おそらく数億単位の損失だったと思います。

あの当時の電話が鳴るたびに売上を失っていく恐怖を今でも鮮明に覚えています。豪雨や地震など天変地異で大きな損失が発生した際、旅館やホテル関係者が厳しい表情でインタビューに答える映像をテレビなどで拝見すると、あの当時が思い出されて心が痛みます。

旅行関係の仕事を15年強勤めてきた経験が、私の経営に対する考えに大きな影響を与えたと思っています。まず、利益率が低い、航空券やホテルの予約手配をしてもわずかな手数料しか利益がない。しかし、地政学リスク、天変地異の影響をダイレクトに受ける。それも頻繁にとなると経営者として結果を出し続けるのは難易度が高い。形のないものを売るということ、海外に従業員を送り出す企業からすれば安心安全、高いレベルを求られます。何より信用力が問われます。また、利益率は低いですが、労働集約なのでそれなりに人は必要なビジネス。この条件で事業継続するってほんと大変だなぁと他人事のように思っていました。

このような事業環境においても差別化するサービスを創り出したり、信頼関係を構築するためにお客様との地味に細かい約束でも徹底的に守る。レスポンス、顧客対応へのスピードというものを追求しました。また、コスト意識も高め、利益率が低いことを言い訳にせず、業界一お給料の高い会社でいざという時に備えて内部留保の蓄積にも拘りました。あくまでも事業・雇用継続のためです。

当時30才。あの米国同時多発テロ事件をきっかけに、業界のどん底の時に起業して死ぬ気で働き、このような取り組みで紆余曲折がありながらも成長することが出来ました。全てを失うことなく、家族を守りながら、従業員の雇用を継続できたことに感謝しかありません。

30代後半までこのような厳しい事業環境でも言い訳せず走り続けたことが、その後の千葉ジェッツの経営へ繋がっていきます。あらためて、振り返るとこの米国同時多発事件から独立して経験した全てが今の仕事に生きている気がしてなりません。

当時マイナー過ぎてバスケで稼ぐなんて無理、バスケが好きでやっている人にビジネスマインドを植え付けなくてはならない。形のない商品を売る、そのための地域社会、ステークホルダーとの信頼関係の構築、コロナ含め突如発生するアンコントロールなことへの対応と振り返ると経営環境がある意味で似ているなぁと感じます。

おそらく旅行会社時代の経験がなければ千葉ジェッツを浮上させることは出来なかったと思いますし、今のチェアマンの仕事やコロナ対応なんていうのは大変だっただろうなと思います。

米国同時多発テロ事件からの振り返りですが、あの21年前から今の自分は一筆書きと言いますが、繋がっているなぁと思います。特に若い人たちは、今の取り組んでいることが将来とポジティブに繋がっているかどうか懐疑的になることも多いかもしれません。

コネクティングドッツ、かならず何かに繋がっていきますので信じていろんなことにチャレンジしてほしいです。一緒に頑張りましょう。

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