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オシムの遺産~彼らに授けたもうひとつの言葉~

 日本サッカー界に多大な影響を与えた元日本代表監督、元ジェフユナイテッド市原監督であったイビチャ・オシム。彼が遺した言葉。サッカー界でのさまざまな分野の11人の男たちに授けた言葉を通して、オシム監督の人物像、強いては未来のサッカー、日本のサッカーの問題点などを浮き彫りにした本です。人が人に与える影響、オシム監督ってこんなにも魅力的な人だったんだ、と認識させられた一冊でした。

オシムの遺産 島沢優子著 竹書房  1600円+税

 イビチャ・オシム氏は1941年サラエボ生まれ。2003年ジェフユナイテッド市原(当時)の監督に就任。2005年、同チームをナビスコ杯優勝に導く。2006年7月、日本代表監督に就任するも2007年脳梗塞で倒れ、監督を退く。
2022年5月死去。享年80歳。

 日本のサッカーに関わった期間はさほど長くないのですが、人々を惹きつけ強烈な印象を残した監督です。何が、惹きつけたのか。言葉であり、生き方であり、サッカーに対する情熱、考え方でした。本書では、11人の男たちがオシムとの思い出を語ってくれます。


 章立てです。()内は、オシム氏に言葉を授かった時の関係。
 第1章 継ぐ「それでも人生は続く」 佐藤勇人(選手)
 第2章 野心「もっと上を見ろ。空は果てしない」 羽生直剛(選手)
 第3章 進化「おまえが指示を出したら、その選手が下手になる」小倉勉(コーチ)
 第4章 探究「限界に限界はない。限界を超えれば、次の限界があらわれる」 池田浩(チームドクター)
 第5章 約束「汗をかく選手を大切に扱う。それが我々のチームだ」
祖母井秀隆(オシム氏を日本へ招聘。コーチ)
 第6章 改革「サッカーのやり方ではなく、サッカーすることを教えなさい」池上正(コーチ)
 第7章 辿る「ピッチ上で起こることは人生でも起こり得る」間瀬秀一(通訳者)
 第8章 紡ぐ「コーチは調教師ではない」千田善(通訳者)
 第9章 繋ぐ「やるかやらないかは、おまえが決めろ」吉村雅文(順天堂大学サッカー部元監督)
 第10章 証明「レーニンは「勉強して、勉強して、勉強しろ」と言った。私は選手に「走って、走って、走れ」と言っている」夏原隆之(選手)
 第11章 昇華「作った人間なら、それを変えることもできる」森田太郎(講師、群馬県での子どもたちへの講演にオシムを招いた)

 サッカーにさほど詳しくない私が読んでも、どの章のエピソードもオシム氏の魅力を語るには十分でした。そんな中、わたしが強く魅かれたのは、第4章のチームドクターとしてジェフ市原に関わり、その後、日本代表にも帯同した池田氏の話です。
 「ドクターが変わると選手のメンタルに影響するから、公式選の帯同ドクターはおまえひとりでやれ」とそれまで5人態勢で、本業の仕事の合間だったチームドクターの仕事を一人で任され、専属になります。61日休みなしの日々、「忘れないで欲しいのは、休みから学ぶものはないということだ。選手は練習と試合から学んでいく」との姿勢。「メデイカルも当然リスクを背負うんだ。われわれはチームとしてリスクを冒している。だから、あなたたちも、ともにリスクを背負う必要があるんだ」といった言葉でオシム氏は彼を鼓舞します。そこで、池田は選手の血液や唾液を定期的に採取し、体調や疲労度を把握し、常にベストコンデションが保てるようにします。
「オシムさんのもとでコンデショニングのことなど本当に勉強しました。メデイカルの仕事は怪我だけなおせばいいってわけじゃないというのがわかりました」日本のW杯進出では違った景色をみることになります。

 戦火のあったサラエボ出身のオシム監督は、「平和が続くとは限らない。人生でも、サッカーでもおもいがけずいろんなことが起こる。けれど、どんな状況でもサッカーは続けていかなくてはいけない。(略)だからこそ、どう対応するかをしかり準備しなくちゃいけない。考えなくていけない」
だから、サッカーは人生と同じなんだ」と選手たちに語ります。

 オシム氏は、選手たちによく「人生とサッカーをセットで語った」そうです。帯にある「あんな凄い人に出会えて一緒の時間を過ごせたのは、間違いなく財産です」という彼らの言葉は、この本を読み終えて、浅学だったわたしに、オシム監督ってこんな人だったんだ、こんな珠玉の言葉を遺されたのだ、という感想に繋がりました。

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