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努力の押し売りやめませんか?

努力

と聞いて何を想像しますか?

私は友達が有名私立大学の野球部でスタメンになろうと毎日練習を頑張っていることを想像します。

しかし、その友達は自分がしている事を努力とは全く思っていません。「自分のため」といつもクールです。

私はあることに気がつきました。それは…

努力は周りの人がする評価でしかない

ということです。
「努力をすれば成功する」とか「努力に意味がある」といったことをよく耳にしますが、努力をしていると思っている時点でそれは努力ではなく自己満足になっています

つまり、努力を強制することは努力をさせているのではなく、努力させるという自己満足に浸っているだけなのです。

例えば、子どもに「勉強しなさい」や「もっと努力しなさい」などというシチュエーションを考えてみます。子供は勉強や努力を強制されています。子供が結果を出せば親は子供を褒め、結果がでなければもっと努力するように促します。
このシチュエーションで誰が得をしているでしょうか?

では、なぜ努力を強いるような行動を人生経験の豊富な大人側が子どもにしてしまうのでしょうか。
努力をしてきた人が成功をし、インタビューなどで努力が実ったなどと言っているのを聞いて
努力する=成功する という方程式が成立しているから努力を押し付けてしまうというのが一般論として考えられます。しかし、問題はそこではありません。問題は、努力=結果 という間違った方程式を作ってしまっているところにあります。例えば、志望校に合格するために必死で勉強した子がいるとします。その子が残念ながら落ちてしまったとしましょう。この子は努力をしていないのでしょうか?周りの人は頑張ったことを努力と認めないのでしょうか?

このように努力とは成功や失敗の過程を示すものであって結果は関係ないのです。つまり、
努力=過程 であり、努力≠結果 です。

努力しろと言うのであれば、過程までちゃんと見てあげるべきです。

今までの挑戦の過程を今1度見直すと新たな発見や気付きがあります。

努力の押し売りは誰も得しないものです。

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