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わたしのための体

夜のシャワー時間に。わけあって9日ぶりに顔を洗った(ヲイ)。季節がら、ぬるいシャワーをかけてみたら、なんだか気持ちよかった。

ちょうどその日、反戦小説の『ジョニーは戦場へ行った』を3ページだけ読んだ。顔面を失った主人公が覆いのマスクを取り外そうと試み、失敗する場面が描かれていた。ジョニーは腕も脚もなくしていた。

わたしは、自分の好きなときに、快適な温度のシャワーを、いつまでも浴びられることの幸せをまた知った。肌を打つ清潔なお湯はとどまるところを知らず、わたしの健康な皮膚はもっともっときれいになった。

この日、昼に出かけるとき、「何も考えず服を着たら」、あの人と初めて会った日と同じ上下だった。暗い気持ちになったがそのまま行った。

車に乗ったら助手席にあの人の足型が残る。砂利の駐車場からあの人が運んだ砂。あの人はずいぶん長い脚だったもよう、それは知らなかった。

CDのジャケットを取り出したら、あの人が手に持ったケースである。家族は知りもせず触っているが。なんやねん、なんやねんもう。

あの人はくり返し夢に出てきて、起きたときの失望といったらない。2人でたくさんたくさん話して、全部嘘だなんて。

あの人が見とれていたわたしのきれいな爪。
あの人に触れられたわたしのふわふわの髪。
どちらも、いずれ伸びてわたしから離れていく。「わたし」であった体(の一部)がある日急に「わたし」でなくなる。

シャワーのあと、「自分の肌のために」化粧水を塗る。乾燥から守るため、守るため。「あの人に素肌を見せるのではなくて」、わたしのみずみずしい皮膚が、長くそうあってほしいから。

あの人は二度とわたしを傷つけにこない。ある日急に消えた。じっさいあの人は、ただいなくなっただけである。わたしは大怪我をしたはずなのに、……そう信じているのに、どこも失わず、何の傷もない。白くやわらかい肌は化粧水を吸って餅そのもの。

あの人はわたしの及ばぬところへ行ったのだから、わたしは捨てられるべき爪や髪をかき集めるような暮らしを続けるべきではない。新陳代謝する「わたし」の体こそを慈しむ。

ありがたいことです。目に留めてくださった あなたの心にも喜びを。