少しよみがえる鷺沼

わたしは小学2年生の3学期から、4年生の1学期までを鷺沼で過ごした。たまたま、今度の休日に行こうとしている飲食店が、鷺沼から目と鼻の先にあると知った。グーグルの地図で見てわかったのだ。わたしの通った小学校も確認できた。何より、当時の社宅がそのままの名前で載っている。わたしは胸が詰まって苦しいほどである。

鷺沼から引っ越した約10年後、わたしは自分で車を運転できるようになってから、一度行ってみた。辺りはずいぶん暗くて、当時の印象とは違って見えた。いわゆる「狭く感じる」ことはなかったものの、不気味だった。

もう別に来訪する必要がないし、気も乗らない。たぶん一生行くことはない。

とにかくみぞおちがぞわぞわと痛い。締め付けられる。涙がにじむ。社宅名を見たら急にそうなった。たくさんの思い出が次から次へとあふれ出る。洪水のように、呼び起こされる記憶の数々。心臓が高鳴って呼吸が乱れる。わたしはグーグルマップを見ていただけなのに。こんなに深く鷺沼の暮らしを思い出せるなんて。

あの土地で暮らしてから34年くらいが過ぎた。いま、わたしにとっての「鷺沼以降」が重くのしかかってきた。
わたしの人生はいったい何だったのか。
わたしには生きる価値があったのか。
わたしはこれから何を目指すのか。
わたしは何のために生きたのか。
わたしは善く生きただろうか。
わたしの苦難の理由は何か。
わたしは何を成し得たか。

泣いている場合か。悲しいなら悲しいなりに、できることがあるんじゃないのか。子供のときも、大人になってからも、つらいことの方が格段に多かった。悲観主義で虚無思想に固まったわたしの記憶はそのように残る。

「自分の人生に後悔はひとつもない」と豪語してきたわたしだけれど、本当は悔やむべき苦みを都合良く忘れてしまったのではないのか。わたしにも子供時代があった。でも、それとはすでに断ち切られた現在を生きている(ように感じられる)。

社宅、小学校、駅前の東急ストア。わたしがいなくなってからも、人々の暮らしは変わりなく続いてきた。行きたくなったら、いつでも見に行けるからこそ、わたしにとっての鷺沼は埋没してゆく。泣く必要などないのに悲しい。行ってみて何かプラスになるとも思えない。何がつらいのかわからない。気持ちの整理がつかない。わたしが思い出せる鷺沼は、鷺沼で経験したすべてからしたら一部である。その忘却がこわいのかもしれない。「鷺沼以降」の暗い内省についても、丸ごとかき消してしまえば拘泥せずに済むものを。

ありがたいことです。目に留めてくださった あなたの心にも喜びを。