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変身?????

2022年の10月はほんと革命だった

やりたい仕事、しかも大きい会社でどうせ通らないやろうなと思って履歴書出したら、連絡きて面接うけて、面接してくれた人がすっごく良い人で。「カジュアルな会社だからかしこまらずに喋りましょう」って言ってくれて、会社のことたくさん話してくれて、どんな仕事したいか聞いてくれて、メールでは20分だった面接予定が結局1時間くらい話してた。

帰り際「年齢の割に落ち着いてるね」って言われて、大丈夫か?????となったけど、1週間たたないうちに採用です!との事でメールいただいて、有り難く承諾し、慌ただしく映画館バイトも最終日を迎えた。

26歳でフリーターで映画館で働いて、やりたい仕事の為に下積み下積み(下積みになるか分かんないけど…)と思いながら朝早く起きて、チケット発券したりポップコーン売ったりしてたけど、たまにハッとなって「何してるん自分…東京きた意味あるん…このままずっとここにいるの…」となることがあった。いや、たまにではない毎日思ってたかもしれない。

映画はここ2.3年で大好きになったし、大好きになった理由も大好きな人が映画大好きだったからで、大好きな人の大好きな事を大好きになれたから、より映画への気持ちが強くなった。大好きな人も大好きな映画も離したくなくなった。映画を仕事にしたら好きになってくれるかもみたいな下心もあったかもしれない。

1人名古屋に移り住んで、友達もいない中大好きな人に出逢って、時間が経って東京にきてまた友達がいなくて、そこから始まった映画館のバイト。趣味が合う友達がいるいないの次元ではないくらい話せる友達が見つからなかったけど、やっと見つかった。「これ見た?」「あれ良かったよー!」「んーあんまり好きじゃなかった…」ってたくさんお話しして、少しプライベートの話もしたりして、こんなとこにいたのか!!!っていう感動と映画まだまだ捨てたもんじゃないやん!!!これからやん!!となった。

特に、関西出身の同年代の女の子の仲良くなれたのがすごく嬉しかった。フランクに話してくれて、猫かぶりの私を受け入れてくれて、東京にきた時期一緒くらいなのに色んなこと知ってて、ご飯食べに行ったり、ライブも一緒に行った。最終日にはシフト入ってないのに、空いに来てくれた。嬉しかった。久しぶりの気持ちだった。

年下の子たちが、私がかつてその年齢だった時には考えられないくらいカルチャーに生きててかっこよかった。自分の人生を生きててかっこよかった。みんなのことをすべて知ってるわけじゃないけど、それでもかっこいいと思えるくらい、全員が自分の好きなことや知りたいことに全力だった。

東京で生きてたらこんな風になれたのかなぁという、ありきたりでくそダサい僻みがあり、どんなにもがいても埋められないギャップがあると思った。そもそも生きてきた環境とそこで生まれた自己憐憫のためにこれからもかっこいい人生は送れないだろう。

嫌いな人に嫌いと言えず、好きな人に好きとも言えない。やりたくない事をやりたくないと言えず、やりたい事をやりたいと言えない。八方美人の生き方を選んだから、人からひどく憎まれたり嫌われたりしたことはないだろう。でもそれは逆に言うと、私の為に生きてくれる人がいないことと同じだと思う。いいように言うと自分以外の何をも犠牲にしてこなかった、悪く言うと誰かのために生きてこなかった私は人に愛される権利を得るチャンスを逃したのだった。

チャンスに気付いた瞬間もあった、チャンスだよって教えてくれた人もいた。怖くて知らないフリをして、背を向けたのは私だった。何回も後ろを振り返ったけど、振り返った時には何もなく、深くて暗い闇になってた。闇の中に戻って、自分にとって大切だったかもしれない何かを探しに行ったのにそこは空っぽだった。諦めきれなくて寂しくて悔しくて今もまだ闇の中にいるかもしれない。

そんな時に私を拾ってくれた今月働きだした会社。小指の爪の先よりもっと小さい光が目を凝らしたら見える気がする。大切だった何かの為に闇にいたからこそ、見えている光かもしれない。どこかのタイミングで光の中に戻ってたら、見えてなかった小さな光が見えている。

今見えている光が、過去の自分が知らないフリして逃してしまった何かみたいにならないように、前を見据えて光の方に向かっていきたい。これまでに逃してきた何かには別れを告げて、きっぱり諦めを決めて、「光を掴みたい!」と大きい気持ちで自分と契りを交わします。


自分に誠実に生き、愛したいものを一生懸命愛することで、過去の自分との訣別を計る。これが私の変身の決意です!

終わり





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