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それ、才能です

フリーランス生活2日目。
そもそも今の状態を「フリーランス」と呼べるのか、について。無職だよね?いや、違う。自分のスキルで1円でも稼ぎがあったらもう立派なフリーランスさ。まずはそういう心持ちで生きていく決意をすることにした。

フリーランスとは、まぎれもなく自分の才能で稼ぐ人のことだろう。
退職を決めたときに友人からの「転職するにしろ、あんたは何ができるの?」という問いに、私は何も答えられなかった。
うむ、私って何も才能なんてないんじゃないか。
才能ってなに?これについて自分なりの定義づけをしたい。
多分だけど、ほっておいても勝手にその事柄が目について、思考して、気付いたらやっていること。

例えば同じ教室に30人いたとしよう。
あるグループは先生の口癖が気になり、あるグループは先生の薄い髪が気になる。またあるグループは先生の教えてくれる授業内容をしっかり聞いている。そして、授業中に空を眺めたり、校庭で体育をしているイケメンに心奪われたり、給食のことを考えたり、途中まで進んでいるゲームのことを考えたり。教室という箱に集められた生徒は十人十色のフィルターによって同じ環境の中で違う世界を見ている。

恐らくこの時点で、才能の分類が出来るのではないか。
かくいう私は、面白い先生の授業しか頭に入ってこなかった。
先生のヘアスタイル、服装、メイクが気になって仕方なかった。
そして気付くと詩を書きだし「新作ができたから読んで。」とクラスメイトに回覧させる、痛いやつだった。
そう、私はほっておいても詩を書くやつだった。
では、私は詩を書くことに才能があるのか?
違うだろう、ここ十数年詩を書いていない。
なぜなら、詩では食っていけないということを知ってしまったから。
好きだったことなのに、稼げないということで私はほっておいても書いてしまっていた詩を書くことをやめた。

子供のころに好きだったことを忘れる。あのまま詩を書き続けていたらまた違った今があったのだろうか。
そうではなかったとしても、こうして私はまた下手な文章を書き始めた。


小舟が一艘 夏空に
夢見心地にたゆたいて
ある7月の昼下がり

不思議の国にまどろみて
日々のまにまに夢を見る
逝く夏のように夢を見る

流れに沿って流されて
金の光にたゆたいて
人生、それはただの夢?

ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』 の序詩より引用


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