見出し画像

さよなら潜熱

その日は雨が降っていた。うんざりするような、けれど束の間の梅雨の終わりだった。わたしは黒いローファーで雨を弾いて、ビニール傘で肩を濡らした。何もかもがあの日とは違っている。轟轟と泣く雨音だけが、あの日と今日とを繋いでいる。再会は決まって夏だった。決まって雨が降っていた。そのどれもを確かめながら待っていた。いっそ逃げ出してしまいたくなるような、わたしは酷く臆病で、買ったばかりの時計が進むたびに厭に早まる心臓をどうにか、どうにか殺しながら待っていた。あなたに会うのは2年ぶりでした。弱いわたしには、連絡を断つ悪癖がある。あなたもまた、わたしから連絡を断ったひとであった。ずっと、を自ら手折ったうちの1人であった。あなたの2年を、わたしは知らない。わたしの2年を、知っているかはわからない。わたしだけがあの夏に留まるために遠ざけていた。話してしまえば、あなたが人生を確かに進めていることが、大人になっていくことが分かってしまうから。あの夏がいちばん美しかった。現在を見なければ、更新しなければ夏はあのときのままだと思った。暗くなった髪、閉じたピアス、増えた刺青、どれをとってもあの夏の名残はないなんて、ほんとうはわたしがいちばん分かっていたのに。あのこは、わたしが7年、執着のように焦がれたひとでありました。5年を噛み締めて、2年のうちに考えた。わたしは、いい加減、この焦げ付きと決別しなければならない。もういいだろう、なあ。時間が来る。面影に顔を上げる。「やっほ」、あいさつだけが変にぎこちなかった、それだけ。変わったことは何も言わなくて、ねえやっぱり、わたしたちは大人になってしまったんだろうか。
制服の時間を多く覚えているせいで、未だにそれ以外を見るのはどきりとする。言わないけれど。お互い社会人になった。夢を叶えたひとと、夢を捨てたわたし。何気ない会話がつらつらと続くだけなのを確かめて、その声や、仕草や、なかみを見て、ひとつひとつこっそりと大事にたしかめて、ひとつひとつを胎のなかに落とし込んでいく。7年を、あなたをすきだったところを、ひとつひとつ確認していく、そのためにあなたに、会った。変わらないところ、変わったところ、好きだったところと照らし合わせて、振り返って。ぜんぶを確かめて、終わりにしようと思った。これは答え合わせ。7年間の熱を、確かな夏を、きちんと思い出にするのだ。さようなら、潜熱。さようなら、多分、こいごころだったそれ。雨に消えてしまえ。ざらざらと、涔涔と遺る火傷の熱が、はやく真更になってしまえばいい、いいや、もう、今日で全部が終わりになるように。
こんどはゲームをしよう、と言外の意味無くただただ交わせた時、ああ、わたしの7年は、確かに思い出になった。さよなら、うつくしいときでした。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?