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酔と夢

安い焼酎を呷れば咽とはらわたがじわりと灼けた。黒い血や重たいものが有耶無耶になって、それからずしりとまた胎に溜った。健康と正常を刮げていくわるいくすりは、健康と引き換えに異常を掻き消す、然れど善いものであるとおれは思った。人生は地獄である、然して恋は地獄である。生きていくのは罪悪である。おれは罪悪のなかで筆を執る、生きるためには金が要る。しあわせな文学なんてないと思った。不幸のなかにこそそれがあるのならば、甘んじて不幸に浸かりきらなければならない。おれの人生は、或いは常に不幸でなければならない。不仕合せが当然という、それは環境だ。幸福は毒である。致し方ないのだと粗悪な酒を飲み下す、何だっていいのだ、地獄の輪郭がぼやけるのなら、何だっていいのだ、おれという実体それが曖昧になるのなら。酒の抜けないよる、わるい夢のほうがよほどほんとうみたいだとおもった。生活もおれも、いい加減酔に溶けてしまえばいいと思った。それが正しいでしょう、と呟いたけれど、困ったようにわらうばかりであった。眼の奥で何かを言っていたようだけれど、そんなこともおれにはもうわからない、もうなんにもわからないし、わかりたくもない。茫やりとした何か薄暗いものが、いよいよ実体を帯びて、重さを以て、呼吸を一々重たくする。「あたしはね、」わかんねえんだ、もう、わからねえんだよ。足音だけがからからと軽く鳴る。なにがしあわせで、不仕合せで、いきるということは、ものを書くということで、それは、焦がれるほど、地獄である。おれはそんな地獄に恋さえしていたんじゃないかしらと思った。
梅雨の合間、雲の切れ間から間抜けな満月が覗いた。ぼうと大きな満月を厭にもの悲しくおぼえたから水面に目を向けたら、何だ、水面のそれはゆらゆらと嗤っていやがった。月には吠えぬ、負けでも、強くもおれはなれねえ。単に惨めさとさびしさだけがこころのうちを荒す。おれは粛々と地獄を生きるしかなかった。あんまりにせつないので酒を呷る。廻るようなあたまにあなたを思いだす。しあわせなのは本当か、不仕合せは夢か。おれがほんとうに生きているのは、しあわせのなかか、不仕合せの坩堝か。「哀しいわね」。瞳はしずかにそう言った。「哀しくなんかねえさ」、真意なんてものは無いが、果たしてそれは、地獄の中に生きることか、夢のために死ぬことか。ほんとうの世界で生きよう。月の晩はかなしい。かなしいばかりだ。泪の流れるふりをした。雨が降ればいい。さよならは、あるいは、かなしいくらいの日が良く似合う。

2022/6/19 桜桃忌に寄せて、私的拡大解釈

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ほろ酔い文学

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