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例えばいま、淡い色に溺死するような

「お茶にでもしようか?」
昨日と同じように戸棚を開ければ、やっぱり昨日と同じように目が合った。昨日と違って返事はなかった。笑顔みたいな、何か言いたげな、少し泣きそうな、曖昧な顔をしていた。まるで耽美だ、と遠くの方で思った。窓際、閉じられたなにかの本、白磁みたいにすらりとした指は、きっと美しい。「お砂糖は3つね」。しってるよ、とは言わなかった。ぼくより少しだけ甘党なのも、やっぱりいつもと変わりは無いのだ。ニルギリ。紅茶の知識は全く無いから、いつもきみの指さすものを買っていた。王冠の紋様のぎんの缶を、すらりと迷いなく選ぶのが好きになった。もともとコーヒーが好きだったし、お茶の時間なんて気にすることもなかったのに。いつからか日常になっていたこの淡い時間に、ニルギリは些か皮肉めいていた。ぼう、と物思いに耽っている間に、琥珀から蒸気が立ち上っていた。ああでも、もう少し苦いものだったなら、傷痕みたく残るかもしれなかったのに。

ティーカップをふたつ、窓際のテーブルにそっと置く。こと、という音に顔を上げる、声が耳に心地良い。どこからどう見ても、いつもの午後だ。晴れた日の窓際が似つかわしい。いっとう好きだった。ひと時だけ時間がゆっくりと流れている気がした。「今日は何の本を?」「相対性理論について。信じてる?」「半分かな。夢と現実と。」「過去と未来なら?」・・・・・・即答できなかった。未来に行って何をしようっていうんだ。過去に行ったとて、こんな日を変えることがままなるのか?正しいのか。或いはこんな時間も、最初から無いものに出来たのなら、とも思う。どちらにせよ独りよがりで、どちらにせよ不確定だ。「何時に?」問いには答えずに問うた。よるには。薄い唇が微かに動いた。音が消えた。そう。と答えて、しろいカーテンがゆらりと凪いだ。ならばこれが、最後なのだ。紅茶に浸したマドレーヌがほろりと崩れた。――決定打は解らない。無いのかもしれない。行き違ってほろり、ほろりと崩れていた。少しずつ少しずつ。気づけなかったのは、他でも無い、ぼくが馬鹿だったからだ。蜂蜜は甘い。だから嫌いだと思った。

伏せがちの睫毛に柔らかな斜陽がちらちらと反射する。きんいろに瞬く瞬間が好きだった。蜂蜜の色の癖毛と瞳も、長い睫毛も、少し低めの声も、白磁の指も、緩やかな時間もぜんぶ好きだった。あまりにも美しかった。ぼくには似つかわしくないくらいに。そうだ、似つかわしくなかった、最初から。もう戻らない。明日にはきみは居ない。何も言わなかったのは、曖昧な顔は、ああきっと、きみも堪えていたんだと、そう思うのは都合が良すぎるだろうか。もう二度と戻らない。ああいっそ、死んでしまえたらと思った。この時間を、空間を、きみを、或いはぼくも、蜂蜜みたく甘いみたいな琥珀に詰め込んで固めて。痛みも苦しみも悲しみも知りたくなんてない。知らなくていい。琥珀の中で無垢だと信じるまま、いたい。言えないから、ティーカップの中身を煽った。皮肉みたいなそのニルギリが冷めていく。きっとぼくらに似ているのかもしれない。いつかきっと忘れる。この時間の温度も、ニルギリの味も、白磁の指も、声も。痛みだけがぼくに残るのなら、いっそまあ、それでも良かった。そのティーカップが空になったら、きみは席を立つ。さよならは紅茶の味と、はちみつに似ていた。



■お題「紅茶、はちみつ、金色」
(お題提供:どこまでも、まよいみち様)三題噺スイッチより
■書いた人「栃野めい」(Twitter:@zigzz__)

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