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消えない内緒ばかり

「なんでタトゥー入れたの?」。意味や動機づけを義務付けたがるのはナンセンスだと思う。この言葉ひとつ、この花ひとつに意味が必要ですか。わたしだけが大事に抱えていてはだめですか。あなたに、好奇心と怖いもの見たさで聞いてくるだけのあなたに分かってもらわなくたって構わない。なんでタトゥー入れたの。そんなの、入れたかったから、彫ってもらった。それだけだ。

12月20日、今日、新しくタトゥーを彫った。青い花を彫った。初めて色彩が肌に咲いた。綺麗だと思って、次に思うのはいつも決まって家族のことだ。お父さん、お母さん、またわたしは秘密を持ちました。もう来年の夏、半袖は着られない。どうか、どうかそれでも、家族で居させてください。と。タトゥーは内緒だ。初めてタトゥーを彫った21の夏、喜びの次に、取り返しのつかないことになったと震えた。価値観で言うなら、親不孝だ。知っていながら絵を刻むわたしは親不孝者だ。自分の目の届くところにあって欲しいからと腕を差し出しているのに、次には隠し方を考えるなんて滑稽だ。わざわざ痛い思いをして、身体に色を入れる意味なんて普通に生きて分からないでいいのだ。わたしは現に意味も理由もない。態々生きにくい身体になっていくさまを、苦しいのか明るいのか分からない今後をずっと生きるさまも、別にわたしの人生なんだからほっといてくれよ。「親から貰った身体に傷を付けるなんて」。身体に色を入れる度に隠し事が増えていく。世間さまや、家族に対して言えないことや、見せられない部分が増えていく。そりゃあそうだよ。普通に生きてたら腕に絵がある人間なんて怖いに決まってる。気持ち悪くも思うだろう。免疫がなければ無いほどそうだ。でもだって、貰ったからだはわたしのもんだ。好きにしてはだめでしょうか。オーバードーズやリストカットの類と比べるつもりは無い。そこに違いはあったり、なかったりするのだろう。自傷の手段や、自分を愛するためのそれ。家族にも、この腕にも愛だけはあるのだけど。しょうみ、縁を切るとまで言われたらもう隠すしか無い、だって家族とは家族でいたいし。長袖しか着られない夏、転職するにも職種は縛られるし、そんな社会にとって不都合なわたしの腕いっぽん、しかし後悔は「たぶん」ない。ないとは言いきれないのはまだ20年そこらしか生きていないからだ。「たぶん」。永く生きられるようになった現代日本で、永く生きるとは到底思わないこの身体が、醜いこの身体が、せめて腕1本だけでも愛せるものであったら。それだけを頼りに、わたしは消えない内緒を彫る。

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