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誰でもわかるコルビュジエ「後編 : ブルータリズムの爆発(1934-2006)」

今回は65歳以降のコルビュジエの功績を辿ります。

この3部作もついにクライマックスです。今回はこれまでの記事の中で抜群に写真数+作品数が多いです。この記事だけで写真70枚くらいあるので長いですが(名作が多いので端折れませんでした)、、、説明は軽いのでガンガンスワイプしていけば良いと思います。

その前にここまでのおさらい

「前編 : 建築への目覚め (1887-1917)」では、
①コルビュジエはスイスで生まれ、18歳という若さのとき、地元で設計を始める
②パリの事務所、ベルリンの事務所で修行の後、旅に出て世界中の建築を見る
③再び地元スイスへ帰ってきて独立、修行+旅で学んだことをいかんなく発揮する

「中編 : 白の時代へ(1917-1934)」では、
④スイスからパリに事務所を移し、近代建築の五原則に基づき数々の作品を生み出す
⑤遂に傑作サヴォア邸に辿り着く
⑥でかいものも始めることで、白の時代とは異なる表現に移行し始める

という流れでした。

以上を踏まえて、
「後編 : ブルータリズムの爆発(1934-2006)」
を行ってみましょう

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コルビュジエ 爆発する
[晩年編] 1934-1965

ここまで順風満帆だったコルビュジエは、戦時下ということもあり、なんと10年ほど実作に恵まれない不遇の時代を過ごします。

そんな中で、人体寸法と黄金比を組み合わせた建築に用いる寸法体系であるモデュロールの研究や、後述する集合住宅ユニテ・ダビタシオンの研究をしていました。

photo credit : 「モデュロール II (鹿島出版会,1976)」

そうした、充電期間を経て、65歳以降のコルビュジエは名作を爆発的に世の中に排出していきます。(サヴォア邸は当時44歳だったので随分時間がかかりましたね。。)

「ユニテ・ダビタシオン」
(1952, マルセイユ, フランス)
コルビュジエ65歳

この建築は、戦災復興の途上にあったフランスで、国がモデル的に建設した中所得者層向け高層公営住宅です。
これまでコルビュジエは、都市計画(ヴォアザン計画、パリ計画、輝く都市、等...)については、発表していましたが、実際に公共建築を建てたことはなく、このマルセイユのユニテが初となりました。
ちなみにユニテは、[ルゼ] [ブリエ=アン=フォレ] [ベルリン] [フィルミニ] の合計5箇所に作られています。

ユニテはわかりやすく言うと団地なのですが、この作品は普通の団地ではないです。大変な名作で、この作品で一冊本が書かれているほどやばい建築です。

ちなみに、この質感ここまでの流れから大きな違和感を感じませんか?あの「白の時代」のコルビュジエはどこへ?って感じです。

そう、これがブルータリズムなのです

ブルータリズムとは、コルビュジエが、(フランス語で生のコンクリートを意味する)「béton brut(ベトン・ブリュット)」と呼んだコンクリートによる荒々しい仕上げを特徴とする建物様式のことです。

この手法は、型枠を外すだけで仕上げることができるため、当時(戦後)のスピードやローコストを求められる時代の中で、工期やコスト面でも非常にメリットがありました。

ただし、一点だけ誤った認識をしていただきたくないのは、このコンクリート打放しと言うのはあくまで建築表現の1つということです。コルビュジエ含め全建築家は皆、型枠の大きさや位置(目地に現れる)、型枠の素材(表情が異なる)なども含めて様々なことを非常に考えてデザインしています。それぐらい、コンクリート打放しというのは奥が深い、ということだけ認識いただきたいです。一発、コンクリートを打ったら取り返しがつかないというその彫塑的な要素が、コンクリート打放し建築の魅力でもあるんですね。

そんなこんなでユニテ以降、コルビュジエは亡くなるまでこのスタイルを突き通します。

近代建築の五原則でもあるピロティですが、マルセイユ・ユニテのピロティの脚は、構造としてだけでなく設備配管が通るパイプスペースとしても使われているため、極太になっています。このピロティの力強さは圧巻です。

商店(食料品店、レストラン、郵便局など)が中間階にあり、屋上には幼稚園やジム、プール、屋上庭園、ホールがあります。住戸はその間に23タイプ337戸が収められていて、小さな街のような超複合建築になっています。

コルビュジエ名物、屋上庭園は健在です。

「ロンシャンの礼拝堂」
(1955, ロンシャン, フランス)
コルビュジエ68歳

まるで絵本に出てきそうな建物ですね。「キノコ」とか「カニ」とかそんなものによく形容される外観で、ユニテ同様この作品だけでも一冊本があるほどの超超超名作です。

表参道ヒルズや六本木の21 21 DESIGN SIGHTなどの代表作を手掛ける、世界で活躍する安藤忠雄氏含め、世界中の著名な建築家がこの建築に影響を受けたと語っているほどの作品でもあります。

この作品も色々と書きたいことはありますが、、省略します。。

厚みのある壁にステンドグラスが嵌められており、崇高な光の空間になっています。

ちなみにこの建築は、ダニー・ボイル監督の「トランス」(2013) のロケ地として出てきます。

「記憶」が鍵となる映画なのですが、ロンシャンは記憶を呼び戻すメタファーの空間として登場します。登場時間はかなり短いですが、非常に重要なシーンで登場します。

「高等裁判所」
(1955, チャンディガール, インド)
コルビュジエ68歳

photo credit: https://architectourism.jp/india-lecorbusier-travelimage2/

チャンディガールは、コルビュジエが都市計画から関わり実現したインド北部の都市です。元は、アルバート・メイヤーというアメリカ人都市計画家が計画していたのですがパートナーに不慮の事故のため消沈してしまい計画を断念、その後コルビュジエにこの仕事が舞い込んできたようです。都市計画自体はメイヤーの原案を引き継ぎながら修正していき、チャンディガール内の重要な施設はほとんどコルビュジエが設計していきました。

ちなみにインドのコルビュジエはかなりパワフルです。

また、全体的にインドの突き刺すような日光を遮るための日除けとなる「ブリーズドソレイユ」がかなり特徴になってます。窓の前にある奥行きのある格子状のコンクリートですね。これがまた格好良いわけでして。

この高等裁判所は大きな屋根と緑、黄、赤の大きな壁柱が特徴的です。この壁柱はめちゃくちゃでかくて圧倒されます。

「繊維工業会館」
(1955, アーメダバード, インド)
コルビュジエ68歳

インドでは、チャンディガール以外もアーメダバードにも設計しています。
前面の長いスロープと、斜めの[ブリーズドソレイユ]が特徴的です。中間領域のデザインが良きです。

「合同庁舎」
(1958, チャンディガール, インド)
コルビュジエ71歳

こちらもチャンディガールの建物。このブリーズドソレイユも超カッコ良いです。

ポツ窓がたくさんついている塊はスロープです。

「サンスカルド・ケンドラ美術館」
(1958, アーメダバード, インド)
コルビュジエ71歳

アーメダバードにある美術館なんですが、これ、国立西洋美術館に似ていませんか?

それもそのはず、この美術館も国立西洋美術館も同じコンセプトとして作られている建築だからです。

そのコンセプトというのは、「無限成長美術館」という、将来的に収蔵する美術作品が増えていっても建物自体を螺旋状で外側に増築(拡張)していくことで無限にアート作品を展示できる、というものです。

photo credit : https://grandtourofswitzerland.jp/cms/763/?lang=jp

ちなみにこの「無限成長美術館」の構想を叶えられたのは、世界に、アーメダバード(インド)と、チャンディガール(インド)と、上野(日本)の3箇所だけです。

中央のホール(吹き抜け)から二階へ上がりロの字でぐるぐる回れる構成です。西洋美術館は中央ホールは内部になってますが、サンスカルド・ケンドラ美術館は外部で、エントランスホールなんですね。

「国立西洋美術館」
(1959, 上野, 日本)
コルビュジエ72歳

みなさんご存知の、上野にある国立西洋美術館です。上述している「無限成長美術館」シリーズで、日本唯一のコルビュジエ建築です。コルビュジエ事務所にかつて在籍していた日本人の、前川國男、坂倉順三、吉阪隆正がローカルアーキテクトとして担当しており、彼らは建築界では知らない人はいない日本の大巨匠です。

実は西洋美術館が建てられてから20年後の1979年に前川國男事務所によって増築されているのですが、その際螺旋状ではなく、裏側に増築されることになってしまったという、、なんとも言えない状況です。。

インドの美術館はレンガを用いていましたが、日本では玉砂利の洗い出しにしています。大きな構成は「無限成長美術館」ですが、細かな素材などはその土地に合わせて変えています。

「美術学校」
(1959, チャンディガール, インド)
コルビュジエ72歳

美術学校のため、スタジオには、日差しを避けて北側から光が入るように湾曲した屋根形状にしています。

「ブラジル学生会館」
(1959, パリ, フランス)

コルビュジエ72歳

年代は違いますが、スイス学生会館と同じキャンパス内にある建築です。色彩や素材感や構成に、晩年のコルビュジエのエッセンスが随所に見られます。

「ラ・トゥーレット修道院」
(1959, リヨン, フランス)

コルビュジエ72歳

きました。ラ・トゥーレット 。
これは以前の記事を読んでください。
マジで個人的には最高傑作だと思ってます。謎多き建築です。

「州議会議事堂」
(1962, チャンディガール, インド)
コルビュジエ75歳

丁度、行った時は議会中だったため中まで入れなかったですが、めちゃくちゃやばい建築だと思います。これは死ぬまでには絶対見たい建築です。

昔、学校の図書館にあったGAで内部の写真を見た気がします。

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 コルビュジエ 亡くなる
[受け継がれる意志編] 1965-2006

1965年8月27日にコルビュジエは、南フランスのカップ・マルタンにある別荘の近くで海水浴中に心臓発作で亡くなります。(享年78歳)

「コルビュジエ夫妻のお墓」
(1957, カップマルタン, フランス)

妻イヴァンヌが亡くなった時(1957)に作られたお墓にコルビュジエも一緒に眠っています。

コルビュジエの死後であっても、当時着工中であったり、設計中であった建物はそれぞれお弟子さん達の力によって実現されていきます。

設計中や現場が動いていてもしばしば大幅な設計変更をするコルビュジエをすると、果たして最後まで見届けていない作品が本当にコルビュジエ作品か、というと色々と賛否ありますが、ひとまず紹介していきますね。

「文化の家」
(1965, フィルミニ, フランス)
コルビュジエ78歳(没年)

崖に張り出した湾曲した吊り屋根が特徴的な建物です。この作品が出来たのはギリギリ亡くなる前だったようで、実質、コルビュジエにとって最後の作品です。

建物から見ると、彼の設計した建物群[ユニテ、競技場、教会]が見えます。この絵を見ると、ここら辺のマスタープランはやっぱり彼がやったんだろうなーとか思います。

「ユニテ・ダビタシオン」
(1968, フィルミニ, フランス)
コルビュジエ没後3年

この街にもユニテはあります。同じユニテでも色彩や構成、ディテールなど、かなり違います。個人的にはやはりマルセイユのユニテが最高かと、、

「競技場」
(1968, フィルミニ, フランス)
コルビュジエ没後3年

RC屋根が張り出ています。

「美術館」
(1968, チャンディガール, インド)
コルビュジエ没後3年

チャンディガールの美術館。前述していた世界に三つある「無限成長美術館」のうち最後のものです。インド人のかたがバッチリ決まってます。

「オープンハンド」
(1985, チャンディガール, インド)
コルビュジエ没後20年

コルビュジエが作り出したオープンハンドというオブジェ。高さ26m、めちゃくちゃでかいです。鉄製ですが風で回るみたい。[開いた手]なんだけど[飛んでいる鳥]にも見えなくも無いですね。

「サン・ピエール教会」
(2006, フィルミニ, フランス)
コルビュジエ没後41年

今回、コルビュジエの処女作から爆速で紹介して来ましたが、この建物がこの一連の記事で紹介する最後の建物です。言い方を変えると、コルビュジエの最新作に当たりますね。

このプロジェクトは、コルビュジエが亡くなる前から設計はしていましたが、重なるトラブルにつぐトラブルで、着工したのは没後でした。その後もトラブルで現場は1978年にストップ。ようやく工事が再開したのは、その26年後の2004年、そして出来上がったのが没後41年 2006年になります。本当につい最近ですね。

内部は、コンクリートに空いた小さな穴から差し込む光によって、不思議な帯を作り出します。時間や天気によって帯の形状や明るさが刻一刻と変わります。

この光の帯がどういう風に入っているのか、その空間にいるのに全くわからない不思議な空間でした。

「後編 : ブルータリズムの爆発(1934-2006)」をまとめると、
戦時下の影響で不遇の時代の中、色々と研究する
②戦後、遂にブルータリズムが爆発する
③コルビュジエ亡くなる
④その後、設計中+着工中のプロジェクトが完成していく

という流れでした。

いかがでしたでしょうか。これにて最終章は終わりです。65歳から78歳の追い込みが半端なかったですね。

ちなみに、ブルータリズムの時代の作品群を見ているとなんか雰囲気似てる建物見たことあるなー、とか思いませんでしたか?

そうです、その通りです。コルビュジエの建築界に及ぼした影響は半端ないことになっているんです。

国立西洋美術館の部分で書きましたが、日本人だと直接の弟子は、坂倉準三、前川國男、吉阪隆正です。彼らは日本人の巨匠で名作を数々生み出しています。しかも、東京都庁とか代々木体育館の設計者である丹下健三前川國男の弟子です。つまり、コルビュジエDNAは脈絡と繋がっていた、とも言えるわけなんですね。

直系の弟子でなくとも、やはり作品集や書籍などのメディアの力で大きな影響を受けた建築家も少なくありません。まぁ、なんたって、良いもんは良いですからね

また、途中でも少しだけ書きましたが、コルビュジエの功績は、実作のみならず、言説や、絵画、書籍や写真等のメディア、社会状況を踏まえた構想や都市計画等、多岐に渡ります。

ネットでも、関連書籍でも、いっぱいありますので、少しでも気になる作品等ありましたらもう少し深掘りして調べたり、今は難しいけどいつか実際に見に行ったりすると楽しいと思います。

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おわりに

この長い記事をここまで読んでいただきありがとうございました。本当にお疲れ様でした。

正直、建築って歴史とか長いし、かといって系統 立った資料はアカデミック過ぎるしで、何から触れば良いかわからなく、とにかく学ぼうとしたらかなり手を出しづらいジャンルだと思います。

そんな中、今回の記事をコメントやtwitterなどで、こういう記事を読みたかった、とか、噛み砕いてくれてありがたい、などの反応があったのはかなり嬉しかったです。

私たちは常に建築の中で生活しているし、街には建築しかありません(大自然を除く)。こういう記事をきっかけに、少しでも建築に興味を持って、身の回りの建築を少し意識して生活したりすると、ちょっとした散歩が楽しくなったり、今住んでいる街をより好きになったりするはずです。

これからもそんな記事を書けたらと思います。

そんな感じで終わり方がよくわからなくなってしまいましたが、「誰でもわかるコルビュジエ」シリーズはここで終わりです。

重ねてですが、長い記事を読んでいただきありがとうございました。

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