見出し画像

誰でもわかるコルビュジエ「中編 : 白の時代へ(1917-1934)」

建築家コルビュジエは当時にして
メディア戦略もめちゃくちゃ凄かった

「誰でもわかるコルビュジエ」シリーズ、今回は待望の中編です。名作「サヴォア邸」が満を持して登場します。ちなみに、見出しの内容は最後まで読めばわかります。

まずは前編のおさらい

「前編 : 建築への目覚め (1887-1917)」では、
コルビュジエはスイスで生まれ、18歳という若さのとき、地元で設計を始める
②パリの事務所、ベルリンの事務所で修行の後、旅に出て世界中の建築を見る
③再び地元スイスへ帰ってきて独立、修行+旅で学んだことをいかんなく発揮する

という流れでした。

---------------

はじめるまえに

こんにちわ、104natooです。今回は、中編いきます。

中編は、前編を読んでないと理解できない、とかそんなことはありません。字数はとにかく極限まで抑えてますので(それでも長いと感じたらすみません。。)、ひとまずガーッと読みきっちゃえると思います。それで、前編が気になる、とか、前編の内容をもう忘れてしまった、という方はそのあと前回の記事を読んでみるのが良いかな、と思います。

ではでは、
「中編 : 白の時代へ(1917-1934)」
を行ってみましょう

---------------

 コルビュジエ 到達する
 [白の時代篇]
1917-1932

コルビュジエは1917年(コル30歳)、地元スイスからパリにアトリエを移します。ここらへんがコルビュジエ建築の幕開けとなります。

ちなみ、注意して見ていただきたいのですが、、

この白の時代の建築は、現在からおよそ100年前ほどの建築にも関わらず、デザインの質は非常に現代的です。本当に恐ろしいですね。。

「建築をめざして」(1923)
コルビュジエ36歳

コルビュジエは1920年頃から美術家の友人たちと雑誌「レスプリ・ヌーヴォー」を創刊していました。
そうした中で、そこで掲載した自らの記事等をまとめ、一冊の書籍として「建築をめざして」を発表します。

ちなみに、「住宅は住むための機械である」という超有名な言葉はこの本に書かれています。
「機械」という言葉が、超機能主義的な意味に捉えられ、周りから批判を受けてしまいます。
しかし、そのあまりにキャッチーな言葉で炎上したために、結果、現代でも語り継がれるほどのパワーワードとなるのです。
(そう、これが現代でいう所の炎上商法なのです。)

ちなみにちゃんとこの本を読むと、「機械」の意味は、機能主義というだけでなく、
もっと高次元で、もっとウィットに富んだ比喩表現であることがわかります(意訳できません)。
つまり彼を批判していた人々は、批判したその時点で彼の炎上商法の手中にハマっていたわけです。


「オザンファン邸」
(1924, パリ, フランス)
コルビュジエ37歳

画像1

雑誌「レスプリ・ヌーヴォー」の仲間でもあるピュリスム画家のアメデエ・オザンファンの自宅兼アトリエ。この作品で、明らかに様式に囚われない「自由な立面」を遂に獲得します。

2階のリビングには水平連窓、3階のアトリエにはでかい窓。今では屋上庭園になってしまっていますが、当初はノコギリ屋根のトップライトだったようです。すごい明るそうですね。


「ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸」
(1924, パリ, フランス)
コルビュジエ37歳

画像2

アートコレクターのラ・ロッシュの家と、コルビュジエの兄ジャンヌレの家が一棟として建てられている住宅です。
ラ・ロッシュ邸部分しか現在は入れませんが、めちゃくちゃ名作です。

とてもコンパクトな家なのですが、中に入って廻っていると、様々に変化していく空間を体験することができます。
建築の中に散歩道があるような感覚なんですねー。ちなみにそのような体験について、コルビュジエは「建築の散歩道(プロムナード)」と称していました。

説明が非常に難しいですが、スロープや、吹き抜けを介した廊下や階段による移動の中で、空間の連続性とズレみたいなものが生じて不思議な感覚になります。また、壁や床の色も非常に豊かで、まるで映画を見ているかのような感覚になります。

画像3

画像4


画像5

画像6

画像7


「小さな家」
(1925, コルソー, スイス)

コルビュジエ38歳

私はまだ行けていませんが、確実に名作です。コルの母のために作られた住宅です。
コルのお母さんは、ラ・ショー=ド=フォンのジャンヌレ・ペレ邸から引っ越してきて亡くなる100歳までこの家で暮らしていました。
小さいけれど色々なアイデアが詰まっていて生活する歓びを感じられそうな素晴らしい住宅だと思います。


「テルニジアン邸」
(1926, パリ, フランス)

コルビュジエ39歳

画像8

三角形の敷地に建てられた住宅。今回載せるか載せないかはかなり迷いましたが、実はこれ、上の4層分は別の設計者の増築なんです。なので、コルビュジエ部分はもうよくわからないです。こういう事例もあるということで。。オリジナルは作品集とかなら見れます。


「クック邸」
(1927, パリ, フランス)
コルビュジエ40歳

画像9

後述しますが、コルビュジエが提唱した近代建築の五原則を最初に実現した住宅とされています。ちょっと写真だとわかりづらいですね、、


「シュタイン邸」
(1927, ガルシュ, フランス)
コルビュジエ40歳

画像10

シュオブ邸同様に、コーリン・ロウの著作「マニエリスムと近代建築」で絶賛されている作品です。この建物は裏が良いんですよねー。私は入れませんでしたが、、ぜひロウの本を読んでください。

この面の構成だけ見ると、一個前のクック邸にも似てます。


「プラネクス邸」
(1928, パリ, フランス)
コルビュジエ41歳

画像11

左右対称な立面の中心にある、張り出したボリュームが特徴的です。
クック邸、シュタイン邸、プラネテス邸には何かある共通点が見えてきますね。

この一連の最終形として後で説明するサヴォア邸が完成します。

画像12


「LC2」(1928)
コルビュジエ41歳

画像13

Photo credit : https://www.cassina-ixc.jp/shop/g/glc2/

あの有名なソファもこの頃なんですねー。


「サヴォア邸」
(1931, ポワッシー, フランス)

コルビュジエ44歳

画像14

前編の冒頭でも登場したサヴォア邸が遂に登場です。
白の時代のコルビュジエが取り組んだ、近代建築の五原則を洗練された形で実現した住宅です。

近代建築の五原則とは
・ピロティ
・水平連続窓
・屋上庭園
・自由な平面
・自由な立面

のことです。それぞれ意味があるのですが、これを説明しだすとかなり長くなってしまうので、詳しくは調べてみると良いと思います。

乱暴な意訳をすると、壁が構造体になってしまう石やレンガの組積から、鉄やコンクリートの柱梁の構造体にすれば、構造体に規定されない自由な空間が作れるよー、ってことです。

また、ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸でもさらっと説明した「建築の散歩道(プロムナード)」はここにも健在です。中に入るとスロープや階段などによって、シンプルな外観からは想像もできないほどドラマチックな体験をすることができます。

この住宅だけでも1つの記事書けるほどですが、今回はサクッといきます。

画像15

画像16

画像17

画像18

画像19

画像20

画像21

画像22

画像23

画像24

画像25

画像26

画像27

ちなみにコルビュジエの「白の時代」の建築はサヴォア邸が最後です。

ある点へ到達したコルビュジエは次のステップへ移行することとなります。

---------------

コルビュジエ でかくなる
 
 [爆発の予感篇]
1932-1934

サヴォア邸以降、コルビュジエは大きめな建築も設計し始めます。
その際、近代建築の五原則について洗練させながらも、これまでの「白の時代」の建築表現とは異なった表現となっていきます。

というのも、ここらへんのコルビュジエは、ガラスブロックや石や鉄など様々な素材を使いまくります。ここまで、前編含めやたらコンクリート!コンクリート!と言っていましたが、実はこの時期は鉄骨造でも建てています。

そもそもコルビュジエはコンクリートがめちゃ好きだったわけではなく、素材の可能性として、コンクリートに価値を見出していただけなんですね。ともすれば、鉄にも同様に価値を見出していて、ものすごく使いたかった。ただ、当時は戦争の影響もあり鉄の価格が高騰していて、使いたくても使えなかったわけです。

この時期は、そんな中、なんとか鉄がたくさん使えた貴重なプロジェクト達なんです。

「スイス学生会館」
(1932, パリ, フランス)

コルビュジエ45歳

画像28

サヴォア邸から竣工年は1年しか違わないですが、ピロティの柱は今までの華奢な柱から骨太な力強い柱となり、外壁はツルツルで真っ白だったデザインから、目地や素材を許容したデザインへと変わっていきます。ピロティだけコンクリートで、その上は鉄骨造です。

画像29

力強いピロティの柱は、この後ユニテ(後編で登場します)のピロティの柱へ展開されます。

画像30

画像31

画像32

「クラルテ集合住宅」
(1932, スイス, ジュネーブ)
コルビュジエ45歳

画像33

これは、クライアントが金属製造の会社を経営するエドモン・ヴァネールという方で、彼と協働でプロジェクトを行うことで積極的に鉄を使うことができました。90年前の建物とは思えないほどおしゃれです。

画像34

画像35

階段室の床や階段の踏み板はガラスになっていて、トップライトからの光がどこまでも入るように工夫されています。

画像36

画像37


「ポルト・モリトーのアパート」
(1934, パリ, フランス)
コルビュジエ47歳

画像38

コルビュジエのアトリエと住宅が入っていたアパート。奥さんはあまり気に入ってなかった、という話を聞いたことがあります。。ガラスブロックをとにかく多用しているのが特徴ですね。建物としてのサイズは大きいですが、近代建築の五原則はしっかり入ってます。

中編は以上になります。お疲れ様でした。

まとめ

「中編 : 白の時代へ(1917-1934)」をまとめると、
パリに事務所を構え、近代建築の五原則に基づき数々の作品を生み出す
②遂に傑作サヴォア邸に辿り着く
③でかいものも始めることで、白の時代とは異なる表現に移行し始める

という流れでした。

コルビュジエは作品も素晴らしいのですが、今回登場した
「住宅は住むための機械」
「近代建築の五原則」
「建築の散歩道(プロムナード)」
のように、自分の生み出している建築にある手法や原理のようなものを[キャッチーな言葉]で発信している点が本当に素晴らしいと思います。
当時、メディアが少ない中、
社会や都市に対しての新たな価値観や新たな生活様式をなんとか人々に広め、世の中を変えよう
という確固たる意志を感じられます。

ちなみに今回は盛り込んでいませんが、この白の時代の時期には、住宅だけでなく
「ヴォアザン計画」「パリ計画」など都市計画の提案などもかなり精力的に行なっていました。

また、メディア戦略でいうと、コルビュジエはサヴォア邸ができる前の1929年に、既に自分の作品集の1冊目を作り上げてしまっているのです。
その後、数年に1冊のペースで作品集を出し続け、その数は全8巻(8巻目は没後)に及んでいます。
現代では存命のうちに作品集を作るのは普通の感覚ですが、当時の建築家の作品集は、大体が没後に第三者によってつくられているような状況です。

そんななかで、自らの作品集をリアルタイムでだしていた、ということからも彼が如何にメディアというものに対して意識的だったかが理解できます。
その他、雑誌[エスプリ・ヌーヴォー]や書籍[建築をめざして]のようなものを発刊していたというのも合点がいきますね。

そういったことを踏まえると
この現代をコルビュジエが生きていたら、
どのメディア媒体で、
どのような新たな価値観を発信
するのか、
非常に気にな
るところです。

そんなこんなで今回の中編は終わりです。読んでいただきありがとうございました。

PS.コルビュジエ完全作品集全巻を買うと10万円くらいします。

---------------

次回予告

今回パリに事務所を移したコルビュジエは、白の時代を駆け抜け、少しづつ大きめの建物も設計し始めていました。そんな順風満帆な日々も長くは続かず、その後戦時下の影響で全くプロジェクトが実現しない不遇の時代を10年ほど過ごします。そして戦後、コルビュジエは遂に沈黙を破り、一気に名作を爆裂的に生み出していきます

次回

誰でもわかるコルビュジエ
「後編 : ブルータリズムの爆発(1934-2006)」

お楽しみに


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?