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"建築界のゴッドファーザー"「アテナイのアクロポリス(パルテノン神殿 紀元前438)」[建築探訪記]

約2500年の歴史に思いを馳せる建築

アテナイのアクロポリスは、ギリシャ・アテネの街にある隆起した岩盤の上やその周縁に残っている約2500年前に建てられた遺跡群を指します。後述しますが、世界で一番有名な建築 パルテノン神殿はこの遺跡群の一部でもあります。

約2500年という長い時間の中でこの建築群は、幾多の危険にさらされますが、オスマン帝国時代(1687年,大トルコ戦争)に爆撃を受けてしまい、大ダメージを食らってしまいます。それでもなお、彼らは建ち続けています。

約2500年もよく頑張ったよ、お前ら。。。

世界一有名な建築「パルテノン神殿」

世界一有名な建造物と言っても過言ではないパルテノン神殿ですが、かつて堅固な要塞にもなっていたこの地に、ペルシア戦争の勝利を守護神アテナに感謝するため、再建されたものです。

パルテノン神殿と言えば、

・隠された黄金比

柱を垂直に見せる為、人間の目に補正をかけるエンタシスという手法

太陽光が内部に透過する大理石の天井

などなど、賛否両論あるものも含め、この建物だけでも一冊の本が書かれているほど、数々の情報が世に出ています。ここでは、パルテノン単体ではなく、もう少し大きな視点でみていきたいと思います。

街の中に隆起した大地 そびえる白い直方体

この建築と初めて出会った時、その全体の姿に心揺さぶられました。

アテネの街中にドカンと隆起した高さ約70メートルの岩盤の上に白い直方体が太陽に輝いているのです。

パルテノン神殿の素晴らしさは、パルテノンが乗っている特殊な地形、それを取り囲む他の建築遺跡群、現代の街までを内包する一体的な構成にあると思います。

訪れる前まで、余りにも有名なこの建築に対して無意識に敬遠していたのか、無知な私はあまり興味を持てなかったのです。がしかし、実際にこの姿を眼前にすると、気分がワァーっと高揚し、なぜかうちのめされるような気分になり、喜びと悲しみが同時に込み上げてきて、動揺せずにはいられませんでした。

アメリカ・テネシー州ナッシュビルに1897年の万博のために作られたパルテノン神殿の実物大のレプリカがあります。オリジナルとは違い隆起した岩盤はなく、アテネのそれとは全く別物にみえることでしょう。

この例は建築が場所と密接に関わっていることを教えてくれています。当たり前のことですが、全ての建築がいつも異なる場所に建つ運命にあることは、建築の面白さのひとつであると思います。

かっこいいですね、、すごいんです、、輝いているんです、、
朝日を顔面に浴びたパルテノンは海に向かっています。

高台にあることもあり、アテネの街を歩いていると至るところでその姿を目撃することになります。

岩盤上と地上を繋ぐ「プロピュライア」

先に書いた通り、アクロポリスはパルテノン神殿以外にもいくつかの建築物の集合体で成り立っています。その中で岩盤上と地上を繋ぐアプローチをつくっているプロピュライアという建物があります。

岩盤の横に取って付けたようなスロープや階段によって岩盤の塊を殺すようなマネはしません。このアプローチのデザインを単なる階段としてではなく、幾つかの塊が岩盤際に突き刺さり、その狭間に階段をつくっているあたりもナイスです。

パルテノン神殿と対をなす「エレクティオン」

パルテノン神殿の真横にはエレクティオンという華奢で凛とした出立ちの建物があります。パルテノン側の列柱は女性の像から成っていて、彼女たちが天井を支えていることが特徴的です。

パルテノンは1つの大きな直方体でつくられているのに比べ、エレクティオンは3つの小さな直方体から成っています。それらの直方体がそれぞれ高さの異なる地形に対応し、回転するように置かれています。どっしりとした静的なパルテノンと、螺旋的な運動を持つ動的なエレクティオンが対を成す配置です。

ル・コルビュジエの著作「建築をめざして(鹿島出版会,1967)」の中で、以下のように記しています。

エレクティオンの女体柱の形にはパルテノンが力を与えた。

意味深な言葉ですが、実際に行ってみると、この二つの建築物のどちらを失っても成立しないような、お互いを引き立て合っているような関係に思えます。

パルテノン神殿と「ル・コルビュジエ」の出会い

ル・コルビュジエがアクロポリス、特にパルテノンにかなりの情熱を傾けていたことは有名な話です。若きコルビュジエはドイツ・東欧・トルコ・ギリシャ・イタリアを巡る旅へ出ます。詳細は「東方への旅(鹿島出版会,1979)」の中で、初めてアテネを訪れパルテノンを見た感動が記されていますので、興味のある方は読んでみては如何でしょうか。

コルビュジエが念願のアクロポリスに到着した時、同行者がいました。その同行者はすぐに見に行きますが、彼はすぐには見に行かず一人居酒屋に行き、夕方に一人で見に行ったり、朝方見に行ったりしていたそうです。同行者がいるのに協調性のない人間だなと思いますが笑(実際、そういう側面があったようです・・・)、見方を変えると建築との出会いをとても大事にしていたとも言えます。

因みにギリシャはとてもワインが美味しいのですが、私が二度目に訪れた際、そのワインを少々飲みすぎた状態で訪れました。その時の低い西日に輝くパルテノンの光景はなぜか一度目より強く記憶に残っています。全く写真を撮っていませんでしたが・・・

建築の体験は天候や時間帯、季節、はたまた自分の状態によって変化します。そのことが、またいつか行きたいと思わせてくれる一つの要因なのかもしれません。その時はまた異なる様相と新しい発見をみせてくれることでしょう。

パルテノンへの愛から、少々長くなってしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました!

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