読書と平凡な日常14 廃墟に感じる歴史
どうも、紅りんごです。今日はスペースダンディを……とお話ししたいところですが、まだ2話ほどしか見ていないので、後日にします。それでは、読書報告から。
廃村を蘇らせようと、最善を尽くす主人公。しかし、その努力も空しく次々と退去してしまう住民達。その原因たる近隣トラブルの謎を明らかにしていく主人公は、理想と現実の乖離に苛まれることとなる。
読了後の空しさが一際目立つ本作ですが、廃れ行くもの、廃れてしまったものもまた魅力があるものだと私は感じています。廃校となった校舎に使われなくなった刑務所。そこに確かにあった、人が居たと感じさせる雰囲気がとても好きです。ちなみに、先に挙げた2つはどちらも奈良県で、どちらも宿泊施設になっているか、なることが決まっています。となると、廃墟とはまた違うのかもしれませんね。本で目にする廃墟は大概海外のものです。特に城なんかは日本とはまた違った厳かな雰囲気がありますね。
しかし、使用されていない建物を全て廃墟、と一括りにしてしまうのも中々難しいものです。中にはきちんと管理がなされているものもあるでしょうし。そういった廃墟はそれなりに美しく保たれていて、『廃墟であること』を売りにしているような気がします。(そういうところはお金をとっているか、世界遺産か、どちらかですね。)
私はそうでないものは最早言葉にすらならないのではないかと感じています。廃れてしまった姿にすら価値が無い、人もおらず、管理もされていない荒れ放題の建物。確かに人がいた、なんて思う人さえいない場所。少子高齢化や過疎化が騒がれる今、そうした廃墟は日本中に増えていくことでしょう。100年後。果たして私が住んでる場所に人はいるのか。私がこれからどこに住んで、どうやって暮らしていくのかは分かりません。が、『私の地元はこんな所だったんだよ。』と誰かに伝えられる位には地元のことを覚えておきたいな、と思いました。いつか廃城巡りに行きたいものです。それでは、今日はこの辺りで。
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