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読書と平凡な日常31 自由とは

 どうも紅りんごです。最近は天気が芳しくないので、気分が晴れませんね。もし、翼が生えていたら雲の上まで飛んでいって鮮やかな空を目にできるのに。そんなことを思いつつ、その翼に関する作品を紹介します。

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 31冊目は米澤穂信『いまさら翼といわれても』。表題作読了後の無力感には打ちひしがれる他ない。自由を奪われた残酷さと自由を与えられる残酷さ。10代の少年少女には背負うには重すぎる問いは、やはり氷菓シリーズならではだと私は感じました。現実の理不尽さに打ちひしがれるのもまた青春と言えるのでしょう。

 自由はしばしば人間にはない『翼』にたとえられます。イカロスの話も束の間の自由を翼で得ますよね。ロウの羽でどうやって飛んだの……とは思いますけど。話を戻すと、人間は翼があれば自由だと表現することが多いです。翼という人間にないものを自由のたとえにすることで、人間は常に不自由だと表したいように感じます。

 確かに人間は個人でできることは限られていますし、これまで蓄積された知恵と技術で生活を発展させてきました。特に日本での生活は便利でかなり自由なものと言えるでしょう。しかし、それが幸福かどうかは分かりません。時間の使い方も将来の選択肢も勉強への努力も自由。あらかじめレールが引かれている人よりも引かれていない自由な人の方が、自分の人生に対して自分の責任が占める比重が大きく、より困難です。そういった面で、自由は幸福でありながらも、人を蝕む毒とも言えます。与えられた自由の中で何をするか、それが個人に委ねられている。そして、その自由で夢を掴む人がいる。条件こそ違えど、同じ自由の中で差が生まれると、自分の時間の使い方に嫌気がさし、疲れてしまいます。

 将来の選択肢も自由と言いつつ、出身大学によって選択肢が変わっていく、なんてことがあるかもしれません。生まれた時に職業が決まっているよりも、小さい頃からの努力で将来を決められる社会の方がいいでしょう。しかし、その自由は人に夢を見せ、より苦しめることになりかねません。それでも自由がいいのは、昔からの空への憧れ、自由を象徴する概念が常に私達の真上にあるからかもしれないですね。自分で書いててよく分からなくなってきたので、今日はこの辺りで。

 

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