読書と平凡な日常30 後の祭り
どうも、紅りんごです。秋と言えば、食欲の秋、読書の秋、そして運動会に学園祭。少しずついい方向へと転換しつつあるコロナ禍ですが、それでも各イベントは中止されたり、オンラインでの開催がされたりしていることが多いです。今日はそんな今は無き華やかな学園祭を彷彿とさせる作品を紹介します。
30冊目は米澤穂信『クドリャフカの順番』。(奉太郎と里志の会話については曖昧な記憶なので、確かではないです。)手違いで大量に文集を発行してしまった古典部、大量の在庫を抱えた彼らは、学園祭で発生した事件を解決することで氷菓の宣伝にならないかと考える。これまでの事件を解決してきた奉太郎もまた捜査へと乗り出していく。
浮ついた生徒たち、いつもはないイベントの数々。普段なら連続窃盗事件は不気味さや恐怖の対象のはずですが、学園祭中に起こったとなると、ゲリライベントとして楽しむものへと変わってしまいます。祭という一種の魔法の言葉は、人の認識を簡単に変えてしまう。特に日本はハロウィンにクリスマスといった海外の祭りまで取り入れる集団の為、とても興味深いです。
特にハロウィンに関しては、仮装して騒ぐ、というのが本分になりつつありますね。むむむ、困ったものです。でも、仕方ないという思いもあります。ハロウィンは亡霊を追い払うために恐ろしい恰好をする、というものですが、そもそも日本発祥の祭りではないので中身が無いのは当然です。中身が無いものに中身をつけられません。しかし中身が無くても祭が成立するのは、日本人が祝うことが好きであり、お菓子や仮装グッズが儲かるからでもあると考えられます。
祭りの意義は、楽しいならば考える必要のないことだと考えます。ですが、それは後片づけまでをしっかりやってから言えること。学生の時はみんなでしんみりとも楽しくやっていた筈の片づけも、見ず知らずの多くの人間が集まった集団では誰しもが流されてやらなくなってしまう。大人になったことで忘れてしまったものもあるのかもしれません。
せめて祭の時だけでも、忘れた何かを思い出して楽しむことの出来る人が増えたらいいな、と思いました。
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