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「何もない」という最高の贅沢〜ギルドハウス十日町での30日間の限界集落LIFE〜

「あ〜、もう限界だ」毎日、繰り返されるワンパターンな日常に退屈しすぎて飽き飽きしていた。

誰もいない孤独の空間の中で、ただ無情にも時間が過ぎ去っていくことに我慢できず、またなんか新しいことにチャレンジしたい、今の生活から抜けだして非日常的な体験や経験を味わいたい!!と9月長野からの一人旅を終えてそう思うようになっていた。

何をしようか、ベットの上でゴロゴロしながら考えていた時にふと思いついたのが、田舎での限界集落での生活だった。

10月初めに「山奥ニート」という本を読んだせいか、田舎生活に少しばかり興味を持ち始めていたことがきっかけだった。

それからと言うもの、田舎生活やシンプルライフを題材にした映画や本に触れたことで、その思いは日に日に強くなった。

田舎の山奥で僕が体験したかったことや感じ取りたかったこととは、、


「物に囲まれず、シンプルで精神的に満ち足りた生活がしたい」
「本当の豊かさとは、消費社会とはまた別の世界にあるんじゃないか」
「足るを知ることがどういうことか身をもって体感したい」
「自分のサードプレイスと呼ぶべき場所を作りたい」

などなど

シンプルライフや持たない生き方に共感共鳴していた僕にとって、田舎での限界集落に行けば半強制的にそういう生活や暮らしを堪能できるんじゃないか?

また効率や利便性という言葉とはかけ離れた正反対のアナログ社会に身を置くことで、また別の視点から物事を捉え直したり、一歩引いて今の自分を見つめ直すことができるじゃないか?と考えた。

そう思い、すぐさま検索エンジンに「田舎 ホームステイ 体験」と検索。

「Familyinn」という田舎ホームステイサービスを通じて直感的に素敵なだ〜と第一印象でビビットと感じた新潟県十日町市にある「ギルドハウス」に即断した。

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余談だが、今僕は大学四年生で大学の授業自体は卒業論文しかなく、しかもコロナ感染拡大防止の為、授業はオンラインで完結するので、ネットワーク環境が整っていれば何ら問題なかった。

実際、ギルドハウスには高速のWifiが繋がれていて、ミニコワーキングスペースも設置されていたので、全く支障がなかった。

因みに僕が限界集落生活をするために使ったサービスとギルドハウス十日町について詳しく紹介されているものを下記に添付したので、是非興味がある人読んでみてください!!

そんなこんなで、familyinnという田舎移住サービスを使い、ギルドハウスの存在を知った。ここに行けば、なんかあるかもしれないと瞬間的に感じてしまった。

自分を何か惹きつけるものがあったかもしれない。

きっといつもの日常から勇気を持って飛び降りた先に、思いがけない出来事や大きく価値観を揺さぶるような人との出会いがあるはずだと信じて、最終的にギルドハウス入居に踏み切った。

そして、いよいよ入居当日、夕方ごろ最寄駅に到着しその後オーナーのハルさん迎えでギルドハウスに到着した。

辺りを見渡す限り、眼に映るのは広大な緑の木々や田んぼ、小川といった自然界が作り上げた産物のみだった。

もちろん、いつも僕がお世話位になっているコンビニエンスストアもスーパーマーケットも街中まで下界しない限り眼にすることはない。

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そんな生活で退屈しないだろうか?この生活を1ヶ月続けるなんて出来るのだろうか?

ギルドハウスに到着した時、そんな些かな不安がちょっぴりあった。

でも、実際に1ヶ月限界集落と呼ばれる場所で生活をしてみてその不安も最初ばかりで、むしろ、そういう生活を大いに楽しんでいた自分がいたことに正直驚いた。

やっぱり根っからの田舎っ子だなとその時しみじみと感じた。笑笑

ここでの暮らしは何と言っても自分を誘惑するノイズが一切なく、何1つ無駄がない洗練された自然空間に圧倒された毎日だった。

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朝、目を覚めると、毎回決まっておきまりの散歩コースを歩くことがルーティンだ。

誰もいないノイズレス空間の中で、鳥のさえずりや川のせせらぎ、木々が擦れる音、風の音など自然界が豪華に奏でるハーモニーにゆっくり耳を傾けながら、呼吸を落ち着かせて、自分の心と繋がるこの時間は心地よかった。

その後、お気に入りの川沿いで目を閉じて、五感に全神経を集中させ、ゆっくり呼吸しながら、無の状態に入り心を落ち着かせる。

これを繰り返す内に、自然と頭からノイズや邪心が取り除かれ、思考がクリアになっていった。

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また、物に全く囲まれないシンプルライフだったのも、僕に色んな示唆を与えてくれた。

シンプルに生きているからこそ、だんだんと我欲も煩悩も薄れていき、本来の自分を取り戻しながら今この瞬間を生きている実感や何かに生かされながら生活している実感を得ることができた。

ここでの暮らしの魅力として、「何もない」という最高の贅沢を味わえたことも大きな収穫物だったと思う。

大量生産・大量消費が繰り返され、日本中に物や情報がごったがえし、そして日本社会が豊かになりすぎたことによって、大切な「何か」も同時に奪われていることを「何もない」という生活を過ごしていく中で分かった気がする。

周辺に大型のショッピングモールがもちろんなければ、コンビニも自動販売機もない、周りにはとにかく自然と集落と人しか存在していない。

ここでは都会のように、遊び場所や飲食店がない分、童心に返ったように体を動かしたり、何かを作ったり、地域の人とゆっくりとお話ししたり、みんなで自炊して一緒に釜の飯を食ったり、年齢も立場も関係なく熱く語り合ったり相談に乗ってっもらったりしていた。

物が無くても、工夫次第でいくらでも楽しむことができる、お金に依存しすぎなくても、毎日幸せに暮らすことができるという原体験は、僕にとってとても大きかった。

遊ぶところや欲求を駆り立てる物が何もないということは、併せて自分と向き合う時間が増えることにもつながった。

懸命に一年間走り続けた就活を終え、これから先の人生に悶々としていた自分を見つめ直すのにも最高のロケーションだった。

毎晩、星を眺め「綺麗だな〜」と感動したり、住民と夜な夜な語り合ったり、近所の農家さんがおそそわけしてくれた野菜を使って美味しいご飯を食べたり、日常生活でついつい当たり前になりがちなそういう1つ1つの小さなことに幸せを感じながら暮らせている自分がいた。

こんなに感動するものや幸せなものがあるのに、それに気づかないまま「楽しさ」や「刺激」を追い求めて、自分の時間=命を無駄に浪費した先に、果たして本当に心が満たされるのだろうか?

お金を沢山稼げば稼ぐほど、幸せになれる。
スピードは早ければ早い方が良い。
小さいより大きい方がいい。
誰かに勝たなくちゃいけない
負け組なんかになるな、もっと上を目指せ

人間の欲望というのはキリがなく、水風船の様にどんどんと膨らんでいくものだと思う。

そして、いつかその欲望という名の爆弾が破裂してしまうときが必ず訪れる。

僕にとって幸せを感じるために大事なことは、

それは、「本当の幸せは常に自分の目の前にあること」・「足るを知ること

この2つだと思っている。それは「何もない」という暮らしから得られた大きな教訓だ。

改めて、「何もない」ということの価値とは、、、、

「何もない」からこそ、自分の頭で考え創意工夫をこらしながら楽しもうとする。

「何もない」からこそ、豊かさの一方で失われているものに気づくことが出来る。

「何もない」からこそ、お金に依存せず自分の手で何か生み出そうとする。

「何もない」からこそ、自分にとって何が大切なものなのか気づくようになる。etc,,,

「何もない」とは、実は「何もかも揃っている」ということと表裏一体なんじゃないか?

豊富な自然の恵み、地域住民の方との温かい繋がり、自給自足の生活で獲れる新鮮な野菜など、生きていくため生活していくために必要なものは実は何もか揃っていた。

都市空間の中で、気薄になりつつある人との繋がりや助け合いから生まれるお互い様文化、お金を介在させない物々交換を通じて、人との信頼や共感を大事にしながら助け合って生きていく。

そして、無駄を削ぎ落としてシンプルでも満ち足りた暮らしを1日1丁寧に毎日を紡いで生きていく、それこそが本当の意味で豊かではないのだろうか。

それが僕がここに来る前に問いを立てた豊かさの定義の答えでもある。

昨今単身世帯が増えはじめ、高齢者の孤独死などもメディアで取り沙汰されている中で、昔イエやムラ社会で当たり前だった人との繋がり、信頼、共感などをベースにオンラインサロンやシェアリングエコノミー、シェアハウスなどが生まれ、人と人の在り方や家族の単位も大きく変容している。

そういう時代の中で、副業や兼業を通しお金・仕事をリスクヘッジとして分散するだけでなく、いつでも自分が安心できて心許させる、家と会社以外のサードプレイスと呼べる居場所を作ることもとても大事だと感じている。

また、有事の時、緊急時の時のセーフティネットして、精神的な安心ももたらしてくれる。

そういう意味では、ギルドハウスは僕にとって第二の我が家みたいな場所であり、心の拠り所でもある。

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人生100年時代と呼ばれる今、何が本当の豊かさなのか、人生で本当に必要な物とは何か、それを自分で見つめ直し考察し再定義出来たことが、1ヶ月のギルドハウスで得た一生分の財産であり、学びの集大成だと感じている。

まとめとして、最後にハルさん(ギルドハウスのオーナー)との思い出を綴って終わりにしたいと思う。

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僕が大好きな言葉でこんな名言がある。


「人生で本当に大切なことは本当に大切なことを本当に大切にすることである」

僕は(ギルドマスター)ハルさんの生き方や価値観に触れるたび、この言葉が、自分の気持ちや感情に素直になって自分らしく生きているハルさんを如実に表現しているように感じとれた。

どうでもいい世間の声や意味のないジョーシキに惑わされず、自分の本当の心の声に従って自分の幸せを追求し、自分のペースを大事にしながら自分らしさ100%で生きているハルさんの生き様に僕は凄く胸が打たれていた。

頭であれこそ難しいことを考えて打算的に損得感情で物事を考えてしまう癖がある僕にとって、純情な心を持ち自分の気持ちや感情に忠実なハルさんから学んだものは大きかった。

また、誰とでも分け隔てなく愛を持って一人一人と丁寧に接することできるハルさんをとても尊敬のまなざしで見ていた自分がいた。

ふとした瞬間に、僕にささやいてくれた

自分がまず幸せにならない限り、相手を幸せにすることなんて絶対出来ない」

「自分のペースや自分らしくいられる暮らしを脅かされないような日常を大事にし続ける」

「未来のことに囚われすぎず、今この瞬間を丁寧に真剣に生きる」

僕に呟いてくれたこの言葉の数々は今でも強く心の奥底に残っている。
(ハルさんは覚えているか、分からないけど笑笑)

「今を生きること、自分らしくい続けること」の真髄を知るためにハルさんに何度も質問したり、自分で反芻したりする中で僕が気付いたこと

それは本当の自分の心の声や心の内側から湧き出る「やってみたい」「トキメク」「ワクワクする」そういう言葉にできない、心揺れ動かす衝動をどれだけ大切にできるかだと思う。

肩書き、名声、収入、所有するもの、虚しさを晴らす遊びや愚痴をこぼし合う仲間、そういうものを両手に溢れんばかり集めたとしても、僕は決して幸せにはなれないと思う。

過去、自分の身体が様々なコードに繋がれてがんじがらめになり、身動きが取れず自分を見失い、息苦しさや憂鬱さを感じながら生きていたあの頃。

欲求を満たすコード、他人の期待に応えなければならないコード、安定というコード、世間の目や常識に従わなければならないうコード

コードを増やせば増やすほど、幸せになれると信じ盲目的に追進し続けていた。

自分の気持ちよりもまずは社会的に正しいこと。大人が言うことは絶対であり、ルールは絶対に守らないといけない。正社員として立派に働き続けないといけない。働かないことは悪である。社会のレールから外れたら、人生詰みだ。

いい大学に就職し、いい就職先で働き、お金を沢山稼ぎ、30代までに結婚し子供を産み、マイホームを購入する、そして老後は悠々自適に生活すると言う「幸せモデル」にいつしか僕の頭は完全に洗脳されていたと思う。

自分を窮屈に縛り付ける色んなコードから一つ、また一つと勇気を持って、断ち切れた「今」、僕は胸を張って幸せだと感じている。

外部情報やニセの衝動に騙されず、自分の「やってみたい」「ワクワクする」といった体の中心部から発せられる本物の感情や心の声に従って行動したことによって、僕をギルドハウスに導いてくれたと感じている。

いろんなものを手放して、どうでも良いコトやモノを全部捨てた先には本当に自分が大切にしたい物だけ残っている。それをハルさんから僕は学んだ。

誰にも振り回されず、誰かに合わせず、社会の常識に縛られず、本当の自分の心の声に従って、自分のペースで自分らしさ100%でこれからも胸を張って生きていきていきたい。

より少なく、より小さく、よりゆっくり、シンプルに身軽にミニマルに。

全ては本当に大切なことを本当に大切にし続けられるように。

最後に

ここでの限界集落生活、そしてここで出会った彩り豊かなカラーを持っている住人達、最後まで本当の両親のように温かく見守り続けてくれたハルさんとまちこさんと春馬くん、一人一人の顔を思い浮かべながら、寝床につこうと思う。

〜The End〜 2020年11月1日ー12月1日

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