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人生が辛いと思った日、映画『ジョーカー』を観てきた

心労や葛藤で初めて熱を出してしまい、憂鬱なSaturdayを過ごしていたんだけど、10月4日から公開されたジョーカーの評価が高く、レビューの中には

・こんなに心が重くなる映画は初めてだ
・すごく面白かったけど、心の重さが3倍になった
・涙が目に溜まったけど、流れはしなかった。何故なら正しくないから。だけど、とても心が苦しくなった

みたいな内容のレビューが多くて、何がそんなに?って思い、韓国での評価も見ると、韓国でもかなりの高い評価で、日韓共に「物議を醸す映画内容だけど俳優は最高だ!」みたいなことが書かれていて、

様々なレビューや、予告動画を観てバッドマンの天敵のジョーカー誕生の経緯を描いた映画なのか〜最初から悪ではなかったのね?までは理解したんだけど、

善良な心は、どんな転機で悪を選ぶんだろう?
その転機では、どんな心折れが生じるんだろう?

光が闇に切替るプロセスが知りたかったのと、
辛い日にそんなに重い映画を観れば、私の辛さなんて大したことはないと逆に少し晴れるのではないか?と期待をして、今日絶対観る!と決めてチケットを買おうとしたら、どこも当日の全ての時間がフル満席で、都内の殆どの映画館がフル満席になるほどかぁ。と期待値高まる。
     
遅い時間までやっていて、アクセスがそれほどよくなくスクリーンが大きいところなら...と調べたら豊洲の23:40のが割と空いていたので行ってきました。
  
  
で、観てきた感想は。

 
でぇ???これだけ?って感じ。
1ミリも重くはなかったぞ?

ジョーカーになる経緯は納得しかなく、私が期待をしていた光が闇を選ぶ本質的なダークなサムシングは何一つなくて。普通の人はこれが重いんだ…と逆に不思議というか。私の話の方が壮絶で重いと思うわ…と思いながら、帰って来たわけですが。

共感出来るところは殆どないし、哀れみを持てる部分もほぼない。理由と経緯は事実と結果にすぎず。あれで犯罪者になるんなら世の中は犯罪者だらけだぞ!みたいな感じ。

悪を正当化している描写が物議を醸すとか?R指定だし、子供に絶対見せちゃダメですよ!みたいなレビューや記事が多かったけれど、最近のPRはそういう感じにインパクトを与えるのが主流なのか?ってくらい、へ?って感じでしたが、

アメリカでは、昔バッドマンシリーズの上映中に銃乱射事件があったみたいで、今回のストーリーに影響され犯罪に走る人を懸念して警告文も出しているんだそうで… その話を日本で大げさにしている人々がいますが、

まず、日本には銃ないからね!ジョーカーを観て影響されるなら他のホラーやアクション映画も同じじゃないのかな?って思ったりもしますしね。。暴力映画は教育上そもそも子供は見ちゃダメなわけでね。

そもそも、今の子供達はバッドマンを知っているのかな?

子供の話が出たついでに。。。映画の感想をリンクさせると、育つ環境や教育は本当大事。って独身でも最近、強く思うようになったこの頃。でも、これは貧しさや教育レベルの話ではなく、子供の頃から本質に触れることが大事だな。と、この映画を観ても思いました。

なんて言うのかな。。。何かに打ち勝った成功体験がない、自分への承認欲求が満たされない経験が続くと、これらがベースでくる真実から目を背くような現実逃避、他人へ責任転換、すぐ諦めるなど自己中心的な行動を取るようになり、次第に本質を考えようとしない思考停止の要因になると思っていて、社会に出て次第に学んでいく人もいるけれど、根本は幼少期頃に親の教育がとても重要で、育つ環境で備わるものだろうなと最近感じるようになりました。

この映画は悪を正当化しているっていうけど、あれは時代の背景もあるからなあ。映画に出てくる時代は1981年のNYで、私が生まれた年ですね。。あの映画は悪を正当化している描写ではなく、ただプロセスを描いただけなので、ふむふむ..そうなんだね。って感じ。

ただ、一つだけファウンダー目線で共感できたところはあります。

ストーリーの中で、ジョーカーになった寸前の描写がとてもファウンダーとしては共感できるタッチがありました。

映画では正当理由にはならないプロセスで、自己愛も他人への愛もなく、結果的にサイコパスな犯罪者になる瞬間の描写だけれど、

辛い状況での追込みから、ピン!って糸が切れる瞬間、ジョーカーがフリーダム・マインドの境地に辿り着いたかのような変化を見せる階段のシーンがあるんだけど、あれは状況は違えど「ああ、あの感覚ね?わかるわ」って少し共感できたんですよね。

長い期間、絶望や葛藤でどうしようもなかったのに、腹をくくれたときや落とし込めた時に、急に目線が変わり視野の広がりを感じる瞬間、電気のような湧き上がるエネルギーを得ると急に思考も変わるので、それまでの窮屈な思考の自分はどこ?っていうくらい自身に変化を感じ、フリーダム・マインドの境地に辿り着いて、水を得た魚ごとく楽しくなっちゃうみたいな。

あの階段での描写は、判る人には判る「山越えした瞬間」じゃないかな?と思います。

多くの人があれを観て、精神異常者になった瞬間を表面だけで観ると、ヤバッッッ!イカれた・・・ってなりそうですが、深層心理的には、振り切った時や、様々なものから解き放たれた際のマインドの変化を表現した描写は良かったかな。

山越えした経験をしておらず、あの感覚を理解できない人が「経営者は大概サイコパスが多い。」って言うのかもな…(´-`).。oO と、思いましたw

anyway...
幾度も困難に遭遇し脱する際って、場面や事柄で様々な方法があると思いますが、私はただ脱するためだけの選択はしない派なんですが。何故なら、脱する方法を選択する方法が次の生き方に反映するので、ただただ今が辛いから目先の苦悩から脱する方法は改善ではなく、悪く言うと「逃げ」だと思う派なので、普通の人よりとても時間をかけて考え、苦しむタイプではありますが、他の同年代を見ていると何年かに一度同じ課題で悩み苦しむから、これまでの私を振り返ると時間をかけて向き合うことは長期的にみると結果ショートカットだったな。と思えます。

だから辛い今、自分がどう向き合うべきかはわかってはいるんですけどね。辛い時は辛いわけよ。仕方ないね。

で、辛い日にこの映画を見てより重くなったか?逆に晴れ晴れしたか?というとどちらでもなく。

総合的な感想としては、最近のハリウッド映画にしては予算かからずにいい映画作ったな!でした(笑)




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