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ありがとう宮川さん、お元気でまた。(前編)

「実は僕、異動するんですー」衝撃の報告から始まったインタビュー。
スマイルズに新卒入社してから現在に至るまで各部署で経験を積み、100本のスプーンの土台を作ってきた宮川さん。「今」だからこそ聞けるこれまでのこと、仲間のこと、たっぷりの愛を語っていただきました。

宮川 大 (Dai Miyagawa)

100本のスプーンの事業部長。(2022年3月現在)2014年に新卒入社。スープストックトーキョーの店舗で一ヶ月の勤務を終えたのち、本社の「スマイルズ生活価値拡充研究所」へ異動。一年後には「クリエイティブ本部」へ異動し、プロジェクトマネージャーとして、一年間新業態の開発に関わる。そして、レストラン事業部「100本のスプーン あざみ野店」に配属となり、半年で店長に。レストラン事業部「企画戦略グループ」のメンバーとして店舗の新たな企画や出店戦略などに携わったのち、100本のスプーン事業部長に。

100本のスプーンを去ることになって

ーちょっと、びっくりしすぎてて。えっと、どういう気持ちですか今。心残りがあるのか、前向きなのか。

いやあ、後ろ髪引かれてないかと言われると、引かれまくってますよ。この一年は、安心安全を担保するための衛生管理の徹底とか、みんなが仕事に夢中になれるような環境を作ろうとか、大事な足場固めをしてきたので。その上で、さあ登っていこうというところだったので、登っていく景色を一緒に見れないのは寂しい。でも後任の渡部さんはスープストックトーキョーで多くの経験を積んでいるすごく優秀な方なので、スピード感をもって登っていけると思う。不安はないです。

うちの会社は事業の個性も強く、各部長それぞれ、事業への愛も強いんですが、会社としても各部の情報共有していくことが今後大事になってくると思います。ずっと同じ部署にいるとその人しか知り得ない情報が蓄積されて、いざ何かあったときに事業がたち行かなくなってしまいますからね。だから異動には納得しています。

ー宮川さんを拠り所にしているメンバーが多かったと思いますが仲間の反応はどうですか。

最後に色んなことを決定するという立場ではあったので、みんなびっくりしてたし寂しいとは言ってくれてます。でもそれぞれに100本のスプーンにいる理由があって、そこはぶれないメンバーなので自分の考えていたこと、やろうとしていたことを引き渡してから離れようと思っています。

ー今後の100本のスプーンとの関わりはどうなっていきますか。

今後は社内の事業ではなく、スマイルズ代表の遠山さんが取り組んでいるアート関係のビジネスなどをお手伝いすることになると思うので、100本のスプーンとは少し遠くなりそうです。ただ社内の現場にいた僕だからこそ、社内に持ち帰れるものあれば還元していきたいなと思っています。

店長になって気づいた現場の楽しさ

ー100本のスプーンに来てからの5年間、サービススタッフから店長、企画戦略、そして事業部長と順風満帆だったように思えますが。

がんばりました!(笑)でも順風満帆という訳ではなく、色々ありましたよ。以前のインタビューでも話したように本社から現場に異動になったときにはビビっていた部分もありますし、あと、はじめは店長になりたくないとも言っていた。何かあったときにお客さまのご意見対応だとか責任が重そうだったし、部下を育てるということに当時あまり興味がなかった。本社ではプロジェクトマネージャーとして、企画案件の進行管理や調整をやっていたので、企画を動かしたかったんですよね。

でも、いざ企画を動かすってなったときに、決定権が無いから店長や料理長にすべて確認を取りながら進めなきゃいけないんですよね。となった時に、自分が店長になった方がスピード感をもって進めるなあと気づいて。それから店長をやらせて欲しいと手を上げて、半年でやらせてもらえることになりました。そこからが本当に楽しかった。

ー半年でやらせてもらえることがすごいです。どういうところに楽しさを感じていましたか。

今考えたらすごいですよね。当時の事業部長の山﨑さんが自由にやらせてくれていたのもあるんですけど、現在グループマネージャーをやっている岩田さん・テツさん(髙橋総料理長)が一緒に現場にいてくれたことが大きかった。岩田さんはマネージャーとしての経験豊富でアドバイスをもらえたし、テツさんはこういうことしたいって伝えたら料理を再現してくれる。だからそこからはスピード感をもって企画や施策が試せたし、面白かった。

「みんな自分のなかにオトナとコドモがいると思うけど、100本のスプーンのメンバーはコドモ率が高い人が多いんですよね。僕もそうだけど。」

ー宮川さん企画、さまざまありますが得に印象的なものはありますか。

はじめてのおつかい、はじめてのコース料理」と「おいしいファッションショー」かな。あの企画は、僕たちだからできたことかなと。やってみるまで、自分の頭のなかで描いていることをみんなに伝えることはなかなか難しかったけど、でもやってみたらお客さまも喜んでくれたし、仲間も楽しんでくれたと思う。

ープロジェクトマネージャーとしての経験とレストラン現場での経験、そして宮川さんの感覚が融合したんですね。

「コドモたちとつくる公園プロジェクト」では、あざみ野店テラスから続く敷地にコドモたちと一緒に考えた公園を建設

ーほかに店長になってよかったことはありますか。

数字に関してもはじめはすごく苦手だった。でもそれも、なんか難しそう、という先入観だったというか。店長になってお金の流れが理解できるようになってからは、より根拠をもって進めるようになった。
たとえば簡単な話をすると、あざみ野時代に店舗スタッフ同士の交流ということでお店を閉めて懇親会を年2回やっていたんですけど、一日営業止めるとなるとその分の売上がなくなるわけじゃないですか。でもちゃんと数字をわかっていれば、予測売上はどのぐらいで、じゃあ参加費は3000円ぐらいもらえたら赤字にはならない、そしてそれをやることで今後みんながより働く意欲が高まるという効果がある!といったような理由付けができるようになりました。

最初の思いつきは普段話せない主婦・学生メンバーみんなで集まって食べたり飲んだりしたい、みたいなことなんだけど、数字による根拠があればなにかするときにみんなを説得しやすいですからね。

ー味方につけたんですね。

気づいたら乗り越えていた、育成という苦手分野

ーはじめは部下の育成に興味がなかったとのことでしたが、現在の宮川さんは部下に対してのフィードバックを大事にされていて、むしろチームのみんなが成長していく姿を見て心から喜んでいるように感じます。

苦手意識がありましたね。いままで人を育てるという経験はなかったから想像できなくて。でも店長をやってみて、僕の発言が一緒に働く仲間たちの考える時の背骨みたいになっているのを感じたり、お店が向かっていく先が見えてきたりして。それはいままで本社でプロジェクトマネージャーをやっていたときと違ってチームプレイならではの楽しさだったんですよね。僕は人に影響を与えたいっていう気持ちがちょっと強いと思うので、それがすごく嬉しかったし、ああ面白い、と素直に思った。

そういう風にやっていくうちに自然と責任感も湧いてきて、いつの間にかみんなの拠り所になっているんだなというのを感じましたね。社員もアルバイトスタッフも仲間として一緒に働いていて、この先ずっと同じように一緒に働くっていうことはないかもしれないけど、ここにいた時間が人生のなかで少しでも良い時間になったらな、と思ったりして。そしたらひとりひとりの顔を思い浮かべながら「この仕事を任せてみようかな?」とか「ちょっと厳しいことも言わないといけないのかな?」とか考えたりするようになりました。

ー愛を感じます。厳しいこと言うのってしんどくないですか。

いやあ、苦手ですね。だからテツさんにもよく怒られたなあ。もっとちゃんと言わなきゃって。それでもあんまり言わないけど。僕はできていることを褒めたり、自分で気付けるように促すみたいな方がやり方としては多い。

「ちょっと促して、見守ることが多いかな」

でもいまだに正解はわからないんですよね。プロジェクトマネージャー時代にも厳しいこと言われたけど、あのときフィードバックしてもらえてよかったと思うこともあるので。

失敗したからこそ築いた仲間との信頼

ー仲間へのフィードバックしたことで印象に残っていることはありますか。

うーん…相羽さん(現100本のスプーン グループリーダー)が入社したときのことかなあ。ちょうどあざみ野店の店長から抜けて企画や出店計画を主にやるようになっていたころで、現代美術館内のオープンを進めているころでした。それで相羽さんに店長をやってもらうことになって。

相羽さんはもともと営業畑の方なので店づくりの経験はなかったし、100本のスプーンとしても今よりもノウハウやルールが固まってなかった時期だったのに、自分と同じ温度感を求めてしまっていました。オープン後半年赤字が続いているのに打開策がないことや、仲間とのコミュニケーションに関してガミガミ言ったりしてましたね。

今の僕が当時の僕を見てたらすごく注意すると思います。それだと人は成長しないよって。フィードバックは相手の理解度を見極めた上でやらないと意味がないので。

それでも相羽さんが大人だったので会社としてこういうことを大事にしているんだな、100本のスプーンってこういうものかな、というのをうまく汲み取ってくれて、売上のこと、オペレーションのことなど、これまでなんとなくやっていた部分を整理してくれたり、相羽さんらしいコミュニケーションのとり方を確立していった。一年間で利益も出せるし、チームも任せられる状態にしてくれたのは僕の中でも相羽さんに対する大きな信頼に繋がりました。だから何か困ったことがあると相羽さんに投げています。

「いま考えてみると、相手の受け取れないボールをひたすら投げ続けていたというか」

あまりいいやり方ではなかったけど、そのときの経験はひとつ、僕にとっても学びでした。当時のこと相羽さんに聞いたらたぶん、愚痴がいっぱい出てくるはず。(笑)

ーそれは今度ぜひインタビューさせていただきます(笑)現場ならではの人間味とか泥臭さを感じるエピソードですね。

そうですね、きれいな道のりばかりではなかったですね。店舗だとアルバイトさんも含めていろんなメンバーがいますからね。年齢もさまざまで背景にはそれぞれの生活があって。学生スタッフに半ば生徒指導みたいなことをしたり、主婦さんから子育ての悩みを聞いたりすることもあったなあ。

それはきっと今も同じで、それぞれの物語がそれぞれのお店で起きていて、決していいことばかりではないけれども、社員やアルバイトメンバー含めて苦労しながらも仲間同士向き合っているからこそお店は回っているんですよね。そのことは忘れないでおこうと思っています。忘れちゃうと求め過ぎちゃったり、また取れないボールを投げ続ける、みたいなことになっちゃいますからね。

みんなでつくってきた100本のスプーンがあったから、今の自分がいる

ー飲食店ならではなのかもしれないし、100本のスプーンならではなのかもしれないですが人が好きなメンバーが多いなあと感じますし、仲の良い職場だと思っています。

きっとみんなが環境づくりをしてきたからなんだろうね。だから僕が指導したどうこうというより、過酷な環境のなかでみんな頑張ってくれていて、優秀な人に囲まれたなと思います。あざみ野店と二子玉川の2店舗しかなかった時代から5店舗になって、組織が大きくなって。僕は自分自身を偏りのある人間だなと思っているんですが、そんな僕でも仲間に恵まれたからこそ部長としての経験をすることができたんだと思います。

これからも、100本のスプーンの「今」をつくっていく人と出会っていきたいですね。

前編は宮川さん自身にフォーカスしてお話を聞いていきました。後編は、ブランド全体についてお話を聞いてみます。

撮影:藤﨑 杏菜
取材・執筆:本間菜津樹

カメラマン:藤﨑 杏菜(Anna Fujisaki)
埼玉県出身。短大卒業後、栄養士として病院・保育園に務めた後、レストランなどで料理を学び、2021年100本のスプーンへ入社。立川店キッチンスタッフとして勤務している。趣味のカメラでは主に人物写真を撮るのを得意としていて、採用広報撮影担当。他にもトランポリン、スノーボード、デザインなど多趣味。

インタビュアー:本間菜津樹(Natsuki Honma)
沖縄県出身。大学卒業後、アパレルEC運営会社にて出店ブランドのサポート業務等に従事。その後地元の出版・印刷を行う会社に転職し、ものづくりに関わるうちにその楽しさを実感。自身でも文章を書くように。出産・子育てをするなかで親子の場づくりがしたいという思いが芽生え、100本のスプーンへ。豊洲店にてサービススタッフとして勤務。

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