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「やりたいことをやるため」の能力を育めているか

行動できないのは人生の嘘

アドラー心理学に出てくる「人生の嘘」。
行動できないわけではない。
やらないことを自分が決めているから行動しない。

それでも乗り越えたいなら、できない理由を探さずに、できないことを認めた上で挑戦する。

「人生の嘘」は、行動に移せなかったわたしにとって、突き刺さる言葉です。

わたしは要領が悪く、失敗を恐れ、何事も慎重になりすぎる傾向があります。

例えば、やることが明確な確定申告や役所に出す類の書類は、淡々と進めることができるし、締切に遅れることはありません。

その一方、自分が興味を持ってやってみたいことなど感情が伴うことは、ほとんど実行できていません。

なぜ行動できなかったかについて、今悩んでも仕方ありませんが、自分なりに学ぶことは、振り返る上で必要だと考えています。

書籍「<叱る依存>がとまらない」の中で、脳の報酬系回路について書かれているのですが、行動できないことについて参考になったことが2つほどありました。

ひとつは「やりたいことをやる」ためには、状況に合わせて自分をコントロールしながら、主体的、自律的にできる能力を育まなくてはいけない、ということです。

2つめは、人にとっての報酬が、「おいしい食べ物」「働いて得た給料」「周囲からの褒め言葉」など、わかりやすい「ごほうび」だけではなく、苦痛の回避自体が「報酬」となりうること。

そのため、嫌なことを回避できたときに、脳の報酬系回路が活性化されて、一時的な回避手段だったはずの行動が維持されてしまう、自分でも気づかない「報酬」になってしまう可能性があること。

わたし自身にあてはめると、いじめを受けた経験から、逃げる選択を続けていたことは、逃げることが「報酬」だったのかもしれません。

「やりたいことをやる」ための能力を育むために

我慢することや、苦痛を乗り越えること自体が無意味なのではなく、
他人から与えられる「強要された我慢」や「理不尽な苦痛」では、成長しないことも、<叱る依存>がとまらないの中に書かれていました。

自分を取り巻く環境と折り合いをつけながら、主体的に行動し、課題を解決する能力は、経験と学習が必要で、最初からうまくできることではありません。その能力を育む必要があるのです。

「やりたいことをやる」能力を育むための経験と学習の機会を持てなかった場合、「何がしたいのかわからない」「やりたいことが見つからない」の解決から始めることになり、その回復には時間がかかってしまうことについても指摘されています。

わたしは社会人になってから、色々と心身的なことなどに興味を持ち、講座を受けましたが、結局どれも続けられず今に至ります。

それでも、自分の行動を変えたくて、「書く」というシンプルなことに取り組みました。

書き続けていくうちに、たとえ小さなことでも達成したと感じられることが増えました。

書き始めた当初は、こんな風に思っていませんでしたが、今はわたしなりの「やりたいことをやる」ための能力を育む時間と、ささやかな成長を感じることに繋がっています。

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