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自分のなかに浮かぶ想いを形にすること

文章を書くことが苦手です。
楽しく前向きに取り組むというには、程遠いと感じています。

今もまだその感覚はあります。けれど最近体験したある出来事で、少し捉え方が変わりました。

わたしのことをまったく知らない人に、
文章がどのように伝わるのだろうか、
そもそも何か伝わるようなものを書けているのか、
いつもそんな疑問を持ちながら、noteにぽつぽつと文章を書いていました。

ちょうどそんな時、昨年10月頃に
青山ゆみこさんの「あなたの文章読みます」に巡り会ったのです。

そのときは最後の受付になるかもしれないとのことだったので、
何日か迷った末、申し込みをしました。

以前より青山ゆみこさんの著書や記事を拝読していました。
静かで、やわらかく温かいまなざしと、少し引いた目線で物事を捉えるような文体が好きです。

申し込み後、青山さんと何回かメールでのやり取りをして、課題と〆切りを伝えられました。
「この課題のテーマで書けるかなあ」と頭を抱えながら、課題の種になりそうなものを、気づいたときにメモを取る日々を過ごしたのです。

気づいたことを書き散らかしたものは増えていきましたが、ひとつの文章にまとめることができずに、課題提出の締め切りが刻々と近づきました。

今年の立春から十日過ぎたあたりに、なんとか形に仕上げて提出し、
桜が散った頃、青山さんから感想を受け取りました。

ゆるやかなペースで進む青山さんとのやり取りは、自然と自分に向き合う時間となったのです。課題前のメールのやり取りでも、青山さんの捉え方や温かさを感じてました。

この課題は、美しい文章や正しい文章を書くためのものではありません。
これから受ける方の楽しみを奪うことになってしまうため、どのような課題なのかをお伝えすることはできませんけれど、
決まった文字数の中で、あることを念頭に置いて、課題についての内容を書きます。
むずかしいテーマではなく、とてもシンプルです。
シンプルだからこそ、自分と向き合うことになったのだと思います。

自分に誇れるものがない、澱のようにこびりついた劣等感から、わたしの書くものは、どこかで目にしたものを借りてきたような言葉ばかりなのかもしれない気持ちは拭えません。
それでも言葉で気持ちを伝えられるようになりたいのだなあ、と課題に取り組む自分がいました。

拙い文章だとしても、興味を持って知りたいと思ってくれる人がいるのだ、そう思いながら。

課題の感想を受け取ったときは、驚きました。
おそらく提出した課題をプリントしたのだろうと思います。
文章の段落に赤いペンでA〜Hと書かれ、パートに分けてありました。
各パートに「B’」や「B”」など細分化され、青山さんが読んで感じたことが、パートごとにびっしりと書いてあったのです。

提出期限間際になってから、この内容でいいのか、承認欲求ではないかと、恥ずかしい気持ちが膨れ上がりましたが、今書ける自分のものだからと言い聞かせたり、何度か見直したのに提出したあと誤字に気がつき、落胆したりしたのですが、受け取った感想を読んだときは、そんな感情はどこかに飛んでいました。

感想について詳細はお伝えできませんけれど、こんな風に読み込んでくれるんだなあ、わたしもこのような受け止め方をしていきたいなあ、と考えながら、いただいた感想とメールを何度も読み返し、小春日和のような時間を過ごしたのです。

わたしには見ることができない、わたしの一部を教えてくださるような、たくさんの驚きや、心に触れるような言葉を伝えていただきました。

赤ペンで綴られた感想の添付ファイルとともに、メールにも心に沁み渡るような言葉が添えられていました。

青山さんが作りだすような、安心安全な場があるのなら、メールなどのテキストのやり取りでも、丁寧に扱われていると感じられる貴重な体験でした。

この講座を通じて、自分のいいところもダメなところも観察しながら、丁寧に見つめて、苦手だとしても思いを書きとめよう、と青山さんからいただいた言葉とともに心に留めました。

また何かの折に、文章をいただいたときは、青山さんのようにしっかりと受け止めながら、深く読むことにも挑戦していくつもりです。

青山ゆみこさんの著書。重たいテーマを軽やかに、やさしい眼差しでつづるエッセイ。

青山ゆみこさん、牟田都子さん、村井理子さんが、疫病の最中に感じたことをゆるやかに振り返るエッセイ。



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