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山葵と先生

 もう何年も前のこと。帰省中に母が、自分が子供の頃に描いた絵や何やかんやを出して来た。
 少しく恥ずかしかったけれど、娘が面白がるから一緒に見ていたら中澤先生からの年賀状が一通紛れていた。

 中澤先生は小五・小六の担任である。
 ある時、家庭科の授業でサンドイッチを作った際、自分らの班が先生の分も作ることになった。普通に作ったのではつまらないから、食パンに辛子とわさびを大量に塗りたくって野菜とハムを挟み、「先生どうぞ」と差し上げた。
 先生は何だか嬉しそうに一口食べて「あっ!」と絶句された。それから「でも美味しいよ」と完食されたので、大したものだと感心した。

 あの時分、賀状のやりとりはもっとしたはずだが、どうしてこの一通だけが別にしまってあったかわからない。
 わからないけれど、ちょうどこれから書く年賀葉書が一枚余っていたから、先生に宛てて出してみた。
 葉書には家族写真と名古屋の住所が印刷してある。だから先方で誰だか分かれば名古屋へ返信が届くだろう。

 名古屋に戻ってから妻にその話をしたら、学校の先生は何百人も子供を見なければならないのに、何十年も前に担任した子のことなんて覚えているはずがないと云う。それは道理だけれど、きっと自分のことは覚えているよ、わさびも食ってもらったし、と云ったら翌日に返信が届いた。
 写真と名前で懐かしい気持ちになったと書かれてあった。
 やっぱり覚えられていたとも思えるが、覚えてないけど元教え子だろうと目星をつけて、当たり障りないコメントを書いて投函されたようにも思える。
 それで翌年は「年末に帰省して鷲見や松嶋らと集まって飲みます」と、当時同じクラスだった者の名前も書いて送ってみた。
 また返信はあったけれど、何と書かれていたかはもう忘れた。
 結局先生に覚えられていたのか判然しないまま、今では年賀状を出すこと自体を止してしまった。

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