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鮒おじさん、ドグラ・マグラ

 小学校の間はよく釣りをして遊んだ。池でフナを釣ったり、川でハヤ(カワムツ)やオイカワを釣っていた。
 百君は釣りが上手いと仲間内でもっぱら評判だったけれど、フナとかハヤを釣るのに上手い下手があるとも思えない。上手いように見せるのが上手かっただけだろう。

 町内の活動範囲にいくつか池があった中で、片山医院の裏池へよく行った。
 池の畔に「ここで遊ばない 第一小」と書かれた札が立っていたが、「わしら、第一小じゃないもんのぉ」と屁理屈を云って、気にせずにいた。自分らは第三小だったのである。

 ある時一人で釣っていたら、知らないおじさんが「どんな仕掛けを使っとる?」と言ってきた。道具を片付けて、帰るところのようだった。
「これです」
「ふーむ。針が小さいねぇ」
「小さいですか」
「これだとヘラブナは釣れんねぇ。フナは釣れるけどね」
 ヘラブナなんて『釣りキチ三平』でしか見たことがない。この池にいるというのも初耳だ。
「ここ、ヘラブナおるんですか?」
「おるよ」
 おじさんは「知らなかったのか」というふうに笑って、道具箱から糸の付いた針を一つ取り出した。
「これ、あげよう。ヘラブナ用の針じゃけ、使いんさい」
「ありがとうございます」 
 その日はもう自分も帰るところだったので、次の時からこの針を使った。「返し」がないから魚を外すのが楽だった。
 随分気に入ったので、向後は同じ針を使うことにした。

 中学校に入っても暫く釣りはしたけれど、段々魚を触るのが嫌になってきて、止してしまった。結局、ヘラブナは釣っていない。

 中二の時、学校帰りにこの池のそばで大きな蛙が死んでいるのを見つけた。
 側溝の蓋の上で足を伸ばしてうつ伏せに倒れている。
 蛙に「倒れていた」というのは当たらない。要は、だらんと伸びていたのである。そんな姿勢で寝る蛙はないから、死んでいるのだと知れた。

 今考えても不思議なのだけれど、この亡骸は数日間鳥や猫に食い散らかされることもなく、最初のままの格好でずっとそこにあった。そうして段々骨になった。骨はじきに側溝へ落ちたようだった。
 あの時分にはいつも長谷川と下校したが、丁度池の手前で別れていたから、蛙のことは自分しか知らないのである。

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