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臭み、こだわり、note

エッセイの正体とは、自慢話をひけらかすことだと定義したことがあります。ただし、自慢たらたら書いてしまうと、その臭味に読者はたちまち鼻白んでしまう。そこで、どう臭味を抜くか、自慢話であることをどう隠すかが勝負の要(かなめ)、ただその一点に、エッセイの巧さ下手さが現われます。

『忘れられる過去』(朝日新聞出版)  書き手:井上ひさし - ALL REVIEWS

 最近、つらつらと昔のことを思い出して文章にするのが楽しい。きっと今が重いからだろう。
 思い出話ばかり書いて何の意味があるのかと以前は思っていたけれど、今は考えが少し変わった。
 意味のあるなしは読んだ人が決めればいい。こちらが決めることではない。全体、「どうだい、役に立つだろう?」というような押し付けがましいのは好きじゃない。

 誰かの役に立つ(前提の)情報を詰め込んで、こんなに役に立つんだぜみたいにやるのは好きじゃない。それもまた、文章の臭みである。

百裕(ひゃく・ひろし)

 Alice in Chainsの楽曲みたいな、POPなわけでも鋭いわけでもなく、何だかのぺっとした感じだけれど「流れ」がある文章を書きたいと思っている。
 公開前に読み返してそれっぽければOK、そうでない場合は手直しをするが、どこをどう直してそうなるのかはよくわからない。それっぽいかぽくないかも自分がそう思うだけだから、他の人にはピンとこないかも知れない。

 最近、随分古い文章まで遡って読んでくださる方があり、とてもありがたい。
 以前に書いたものへ誰かからスキをもらったら、大抵自分でも読み返す。
 そうしてみると、ずっと同じ方針で書いてきたつもりでも存外いつの間にか変わっているものだとわかった。


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