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珈琲と幻

 派遣屋だった時分に、ある有名メーカーの巨大工場へ全国から人を集めて送り込んでいた。

 ある時、まとまった人数の契約を終了することになったから、寮として使っているアパート数軒を営業所のメンバー数人で掃除した。
 朝から全員で1軒ずつ片付けていって、2軒終わったところで少し休憩しようとなって、向かいにあった喫茶店へ入った。
 薄暗くて小汚い店だった。昭和の刑事ドラマで聴き込みを受けてそうな感じのママさんが気怠げに「はい、いらっしゃい」と云ってきた。
 自分たちの他に客はいない。
 あんまり居心地の良い店ではなかったけれど、出された珈琲は甚だ美味くて驚いた。きっとこれまで飲んだ中で一番美味かったろう。

 あんまり美味かったものだから後日改めて一人で行ってみたら、どういうわけか店がない。建物自体がない。取り壊されたような痕もない。
 場所を間違えたかと、近隣を回ったけれどやはりない。よっぽど激しく間違えているか、そもそも妄想だったかだろう。どちらにしても何だか気持ちが悪くていけない。

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