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百卑呂シ随筆

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#眠れない夜に

空と墓

 高校時代、すし詰め状態のバスで渋滞にはまるのが嫌で自転車通学を始めたけれど、じきに止した話を以前に書いた。  その後は始発バスなら座れるとわかって、卒業まで始発で通った。  具体的な時刻は覚えていないが、冬はバス停まで月を見ながら歩いていたから、4時半ぐらいに家を出ていたんじゃないかと思う。そうでないと計算が合わない。そのぐらいからバス停には人が並んでいて、始発は5時過ぎに出た。  ある時、窓から見えた夜明け空のグラデーションが随分きれいで、ちょうどウォークマンから流れて

廊下と行列

 部屋から渡り廊下に出ると、外はもう暗かった。  曲がりくねっていて先が見えない。随分長い廊下らしい。板張りで、処々に柱があり、屋根がついている。壁はないから外がそのまま見える。  両側は竹林のようだけれど何だか立体感がなく、のっぺりした感じで、乳白色のアクリル板に竹林の写真を印刷して裏から照らしているように見えた。色も薄い。光に灼けたのかも知れない。昔、バスセンターで同じ仕組みの看板を見たのを思い出した。あの看板は、鳥居の前で鬼の面をつけて踊る人の写真だったように思う。

猫(存在しない)と自分

 これの続き。  猫のヒデに出会ってから5年後、自分は大学を出て横浜に転居した。山下公園のすぐ近くで、仕事は嫌だったが住む場所は最高だった。  会社の借りている2DKマンションに上司と二人で住まされていたのが、じきに上司が異動になったから二部屋とも自分のものになった。  横浜の一等地で一人暮らしとは大したものだと思ったけれど、エアコンがなかったから夏は随分まいった。  ある時、二部屋のうち少しでも涼しい方を選んで昼寝をしていたら、ベランダの窓から猫が入ってきた。  自分は

忘れ物、近未来

 混雑するのが嫌だから昼時を避けてフードコートへ行った。いつものラーメンをそう云って待っている間、気付いたら隣の席で唐揚げ定食を食っていたおじさんがいなくなって、テーブル上に彼のと思しきスマートウォッチだけが残っていた。席取りのためにこんな貴重品を置いておくとは考えにくい。きっと忘れ物だろうと思った。  下手に触って面倒事になってもつまらないからしばらく放っておいたけれど、おじさんは一向に戻らない。どうやらいよいよ忘れ物に違いない。  サービスカウンターに届けるつもりで手に取

参詣、灯り

 夕方になって、宿からお詣りに行った。  歩いて行くことにしたら、思ったより遠かった。途中で引き返そうかとも思ったけれど、もう少し行ってみようと歩くうちに到着した。辺りはもう薄暗くなっていた。随分疲れたから、土産屋で団子を食った。  それから境内へ入って拝殿へ向かおうとすると、警備員がやって来て「今日はもう終わりですよ」と言う。 「今来たばっかりなんで、ちょっとだけ待ってもらえんですか?」 「日が暮れてからのお詣りは神様に失礼だから、お断りするように云われてるんです」  警備

クリーニング店と憤怒

 横浜で一時期、老夫婦が営む古びたクリーニング店を利用していた。  ある時コートを預けたら、タグに油性マジックで名前を書かれて返ってきた。普通は名前を書いたカードを針金やホチキスで留めるところだが、老夫婦のことだから、そこら辺はあんまり深く考えずにずっとそうしてきたのに違いない。またお客も大概近所の常連ばかりで、先刻承知なのだろう。  おおらかな時代の名残に触れたようで、何だか微笑ましく思った。  今仲にその話をしたら、「他人の服に勝手に名前を書くなんて!」と大いに怒り出し

桜と尻

 自分の通った高校は正門の前に大きなドブがあった。  春にはどす黒い水面に桜の花びらが浮かんで、いよいよ汚く見えた。全体、あんなに汚い桜は見たことがない。  いつも汚い水が淀んでいたから、夏は云うに及ばず、冬でも蚊が多かった。  当時自分は故あっていつも随分早くに登校し、大体毎朝学校の個室トイレで用を足していたのだけれど、ある時トイレから出ると何だかやたらに尻がかゆい。教室に戻るとますますかゆい。もう一度トイレに行って確認したら、尻を数カ所蚊に食われていた。  かゆみ止めの薬