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二十代の終わりに腕時計の竜頭が折れた。どうやら汗で腐食していたらしい。安価なファッションブランドの時計だったが、随分気に入って使っていたものである。 その時分には川崎に住んでいて、もうじき大阪へ引っ越すことになっていたから、その前に直しておきたくて、近くの時計店へ持ち込んだ。 直りますかと訊いたら、店主は何だか渋い顔をした。 「うーん、こういうのはねぇ……」 時間がかかるし、そもそも部品が入って来るかどうかもわからないと云う。 日数がかかるのは都合が悪いと伝えたら、
一つのことにハマると、リソースをそれに全振りしたい。 ビリヤードに取り組んでいた頃は、休日はずっとビリヤードの練習をした。 ある時、同僚の結婚式に呼ばれたのを、他事に時間を使うのが惜しくて断った。そうしてやっぱりビリヤードをしていた。 断ったのが結構直前だったから、先方も随分迷惑だったろう。断るなら最初から断っておくべきだったと、後になって反省した。 娘もやっぱりその系統で、サザンオールスターズにハマり始めた時は、YouTubeでサザンの同じ曲ばかりを流し続けた。
ふっと思い付いて、仕事の帰りにブックオフへ寄ってみた。 ブックオフでは自分ルールがあって、本もCDも一番安いコーナーで掘り出し物を探すことにしている。そうやって買うのが一番、得をしたような心持ちになれる。 今回は、本の方は目ぼしいのがなかったけれど、CDは前々から探していたKUWATA BANDのアルバムを見付けた。これは掘り出し物である。 KUWATA BANDが活動していた頃、自分はまだ中学生だった。このアルバムは、町に一軒きりの貸しレコード屋で借りて聴いた。あ
幼稚園へ行っていた頃にスーパーカーの消しゴムが流行った。元々は、当たりくじが出たらヌンチャクが貰えるガチャガチャのハズレだったのが、ハズレの方が流行ってしまったものらしい。 消しゴムと云ったって、それで擦っても一向消えない。黒く汚れるばかりである。だから本当は消しゴムではない。消しゴムのような何かである。 スーパーカーブームが落ち着くと、今度はウルトラマンの消しゴムが流行った。 最初に手に入れたのはブラックキングという怪獣だった。その時分にはまだウルトラマンもよく知
喫茶店で読書をするのが好きだ。 大学時代には学校の近くに行きつけの喫茶店がいくつもあって、暇さえあればそのどこかで本を読んでいた。まだ携帯電話がなかった時代で、百裕に用がある時は学校周りの喫茶店を探すという者も何人かあったらしい。 家で一人で読んでいると、どうも世の中から取り残されたような心持ちになって来る。喫茶店で読むのが、安心して集中できる。それに優雅な時間の過ごし方のようでもある。 卒業後、就職で広島の田舎の方へ引っ越した。そこでも喫茶店読書は続けるつもりでい
店舗配属から一月後、一週間の連休をもらった。配属前に二週間ぶっ続けで新人研修をやった振替である。二週間の研修に対して休みが一週間では割が合わないから、多分日数を間違えて記憶していると思う。 休みに入る前、「百、連休だな。良いなぁ」と店長が言った。 何と返していいものかわからなくて、「良いですねぇ」と答えたら、パートの長田さんが「ふっ」と笑った。この人は自分が何を言っても笑う。 連休の間に新入社員の懇親会があって、ソフトボールをやるというので呉市のグラウンドへ行った。
11時頃、そろそろ出かけることにしてブーツを履いた。ブーツは先年柏さんから譲り受けたもので、先が随分尖っている。これを脱ぐ時にはもうライブハウスデビューを果たした後なのだと思ったら、不思議な心持ちがした。 電車に乗って、まずは辻の家へ行った。辻はメンバーではないが、ライブで使う大きなアンプを彼に借りる約束だったのである。 じきに他のメンバーも辻の家に集まった。そうしてナベの車に機材を積んだら、随分窮屈になった。メンバーだけでなく辻も乗っていくことになっていたが、全員乗
まだ今のように世の中が剣呑でなかった時分に、仕事で中国へ行った。 上司と、開発部の山野君と通訳の王さんも一緒で、こちらは面倒なことは考えなくていい。ただ自分の仕事をするだけだ。その仕事も、ただのアドバイザーだったので、大いに気楽に構えて行った。 現地で取引先の李さんと合流した。 李さんに会ったのはこれが初めてである。名前からブルース・リーみたいな人を想像していたけれど、実物は南こうせつを太らせたような人だった。 「遠いところまでお越しいただいてありがとうございます」
妻子が泊まりで出かけているので、晩は駅前の吉田屋へ行ってみることにした。 吉田屋は看板に「広島風お好み焼」と書いてある。広島の人は「広島焼き」とは云わないから、これはきっと本物だろうと前々から目を付けていたのである。 吉田屋は古い小さな店で、おっさんが一人で行くには都合がいい。 店に入ると、店主とおかみさんが「いらっしゃいませ」と言った。店主は強面で、おかみさんは物腰柔らかな様子である。愈々本物っぽい。 入口の左手に常連らしい客が二人いた。一人は六十過ぎで、もう一
毎週決まった曜日にアルバイトに行くのでなく、時折単発で工場や倉庫へ行っていた。その時分にはヘビメタで、長髪にしていたものだから、そういう日雇いの肉体労働ぐらいしかできなかったのである。 ところが世の中の様子がどうも変わってきた。よくわからないが、景気が悪くなっているらしい。 不景気と云ったって、まぁ自分のごときにはそんなに関係ないだろうと思っていたら、単発バイトが無くなった。アルバイト情報誌も随分薄くなった。なるほど、これが不景気というものかと得心した。 どうやら単
随分以前、仕事の帰りに公園を散歩した。 大きな公園で、ボートに乗れる池がある。池の周りを歩いていたら、じきに藤棚が現れた。ちょうど藤の季節だったからライトアップされていて、きれいなものだと大いに感心した。 藤棚を抜けると、向こうの広場で十人ばかりの男女がダンスの練習をしていた。 前に夏祭りで、ダンス教室の先生が生徒らを従えて踊るのを見たことがある。 ダンス講師の割に小太りなおじさんだった。動きはキビキビしていたけれど、時折襟元をはだけて、酔ったようにクネクネする。
テーブルの脚に足の指を打つけると痛い。打つけたその時は「あっ」と思うばかりで痛くないけれど、やってしまった、来るぞ来るぞ、と思っているうちに、その気持ちを追い駆けるみたいに痛くなる。 痛みを感じる前にわずかな時間があるものだから、何とかならないだろうか、痛みが来ずに終わるのではないかと期待するけれど、足の指を打つけたら痛いのに決まっているから、ただで済むはずがない。わかっていながら期待して、やっぱり裏切られる、あの一秒ぐらいの間が自分の大嫌いな時間である。 経験上、どう
パスタ屋で店長になって、じきに首都圏の店長会議があった。昔のことだからあんまり判然しないけれど、全部で五十人ぐらい集まったと思う。店長会議に出るのは初めてで、様子がわからないから結構早めに行った。 時間を潰そうと思って近くのマクドナルドへ入ったら、同じブロックの先輩店長が三人ばかり集まっていた。 「お、百。来たか」と竹村さんが言って手を振った。 竹村さんは新卒の頃に世話になった元上司である。竹村さんの他には、白田さんと奥山さんがいた。白田さんはブロック内で一番古株である
結婚して間もない頃、住み始めた街を一人で散歩した。 妻には地元でも自分には知らない街である。思い付くまま適当に歩いていたら、長い登り坂に出た。登った先にはショッピングセンターがあるらしい。 坂の右側は住宅街で、左は崖になっている。崖の下は大きめの川が流れている。 坂を少し登ったところへ十人ばかりの人集りができていた。見ると、その中に義父もいた。義父はアディダスの黒いキャップをかぶって、サングラスを着けていた。 「こんにちは」 「お、裕君か」 「ここで何かあるんですか