継承と同調効果
毎週決まった曜日にアルバイトに行くのでなく、時折単発で工場や倉庫へ行っていた。その時分にはヘビメタで、長髪にしていたものだから、そういう日雇いの肉体労働ぐらいしかできなかったのである。
ところが世の中の様子がどうも変わってきた。よくわからないが、景気が悪くなっているらしい。
不景気と云ったって、まぁ自分のごときにはそんなに関係ないだろうと思っていたら、単発バイトが無くなった。アルバイト情報誌も随分薄くなった。なるほど、これが不景気というものかと得心した。
どうやら単発バイトで繋いでいくのが難しいようだから、ダメ元でCD屋に応募してみた。場所もよく見ないで応募したら、思っていたより遠かった。ただ、駅のすぐ近くだったから、面接へは迷わず行けた。商店街の小さな店だった。
カウンターで「バイトの面接に来ました」と言ったら、背の高いおじさんが奥から現れて、外から裏へ回れと云う。
云われた通りに外へ出てから裏口を開けると、小さな事務スペースがあった。もっとも、狭いスペースに机と椅子が置いてあるだけで、店内からは丸見えだ。わざわざ外から回らせる必要があったとも思えない。そこで面接を受けた。何を訊かれたかはもう忘れた。
三日後ぐらいに採用の電話があった。
それまでこういうバイトは断られるばかりだったから、大いに意外だった。一体、店主はどういうつもりなのかと思ったけれど、採用と云うのに文句をつける法はない。黙って採用になっておいた。
勤務初日、攻撃的な目をした人が「山根です」と手を差し出してきた。何だかわからないまま、「百です」と言って握手をしたら、山根さんは「俺、今日で最後なんだけどね」と笑った。何の握手だかわからない。
後になって川野さんから、山根さんはパンクスなのだと聞いた。事によるとこの店にはバンドマン採用枠があって、握手はそれを継承する儀式だったのかも知れない。川野さんに話したら、「あ、そうですよ」と言われた。多分違うと思った。
採用してくれたのはありがたいが、店主はすこぶる嫌な人物だった。果たしてバイトのメンバーも全員が彼を毛嫌いしている。
「お、竹内まりやを、しっかり売ってもらわな、あかんからな」と、川野さんはよく、くぐもった声で店主の物真似をした。そうして「阿呆ですわ」と言った。
その店主がある時、竹内まりやのCDを徹底的に売ってくれと云ってきた。
「今月○枚売れたら、君らみんな、うちの別荘で焼肉をご馳走したるさかいにな」と言う。
焼肉だけならありがたいけれど、別荘は迷惑だ。
全体、売れと云われたって、こちらはお客が持って来たのをレジに打ち込むだけである。だから売れる売れないは力の及ぶところではない。
あんまり売れませんようにと最初は祈っていたけれど、招待されても断ればいいのだと、じきに気が付いた。
結局、招待されなかったから、あんまり売れなかったのだろう。
今思い返すと、あの店主のどこがそんなに嫌だったのか、甚だ判然しない。どうも周りでみんなが嫌なやつだと云うから、そういう心づもりになったようでもある。
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