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BONUS STAGE(逆噴射小説大賞2021二次選考通過に寄せて)。

タイトルの通りではある。
あるが、何の事だかわからん人のために一応説明させていただく。

昨年の10月、この小説大賞に応募した。
パルプ小説(ノンジャンルのエンタメ小説と思ってくれていい)の書き出し800字以内で面白さ――いかに続きを読みたいと思わせるか――を競うユニーク&クレイジーなコンテストだ。
参加資格は不問だがそこは飽くまで小説のコンテスト、腕に覚えのある猛者がひしめき合う一種の魔境と言っていい。しかも今回の応募作数の上限はたったの三本。いきおい応募作には玉石混淆の”玉”しか見当たらない熾烈な環境下での争いとなった。

この大賞は一次→二次→最終選考を経て大賞が決まるが、例年一次を飛ばしていきなり二次選考結果が発表される。過去大賞を見ている限り二次選考時点で応募作は総数の1/4前後に絞られており、今回もそれは変わりないようだ(今回の応募総数:403本 二次選考通過作:93本)。

二次選考通過のハードルは高い。ドラゴンボールに例えるなら、さしずめナッパ撃破に相当する所業だとおれは考えている。
「クンッ」の一発で東の都を消し飛ばし、並み居るZ戦士をただ一人で蹂躙し尽くしたあの絶望感はマンガ史上でも屈指のものだ。修行を終えた悟空には一蹴されたが、それがかえって生半可な実力では太刀打ちできないという絶望感を際立たせている。
二次選考もそれと同じだと思っていた。通過するには一定以上の実力(純粋な筆力だけでなく大会のレギュレーションにどこまで適しているか等の地の利も含む)と多大な運が要求される、ナッパに等しい高い壁。それが逆噴射小説大賞の二次選考、おれはそう捉えていた。

おれは小説を書いた経験がほとんど無い。このnoteでも私小説じみたエッセイばかり書いている。今大賞の常連や「小説家になろう」「カクヨム」等の他媒体でブイブイ言わせている他の参加者達と競い合うのが無謀の極みである事を、百も承知の上で参加した。
二次選考が素人にはほぼ突破不可能の壁である事、そして己が小説のド素人である事を自覚していながら、それでもなお賑やかしの一人で終わりたくはなかった。通る通らぬは別にして、少なくとも本気で他作者と張り合えるモノを生み出す意気込みで三本書き上げた。死ぬほどキツい思いをしたが、最高にエキサイティングな日々を送らせてもらった。

以下に、応募作三作の当落と所感を記す。

― ― ―

①老いたる女神を穿つべし

○結果:落選。

○さもありなん、と思う。
主人公が喋ってばかりで話が全然動いていない。800字で物語を駆動ドライヴさせる必要がある今大賞のレギュレーションに適していない。
また、ケルト知識への造詣が皆無だというのにそれを題材に用いている。書き手の情念を活かすアイテムとして扱いづらい。総じて、逆噴射聡一郎氏(大会発起人。コラムニスト兼文芸批評家)が言うところの”書き手のR.E.A.L”を文章に宿しきれていない。

○書くのに一番時間がかかったが、それは裏を返せば「自分の中に無い(薄い)モノを無理矢理引き出そうとしている」という事だと今となっては思う。800字の短文で有無を言わさず物語に引き込む必要がある今大賞では、それは不利にしかならない行いという事なのだろう。

○それはそれとして、自分としては結構気に入っている。書こうと思えばこういう文体も書けるんだなと、また一つ自分を知る事ができた。
また、好いてくれる人は好いてくれる作品だとも思う。根拠は無いが恐らく十二、三人に一人くらいは好きだと言ってくれるのではないだろうか。自分の書いた文が誰か一人にでも好ましく思ってもらえればそれで良い、そう常々思っているから、これはこれで良いモノだと思う。

○それにしても、何の前触れもなくこれを読まされたおれのnoteの常連さんはさぞかし困惑された事だろうと思う。いつもふざけた、あるいはしんみりと来る感じのエッセイしか上げていなかった奴がいきなりこんなのを上げたんだから、気がくるったと思われても仕方がない。この場を借りてお詫びします。

○実際、いつもおれの記事を読んでくれているリアル友人達には本気でくるったかと心配された。お前らおれを信用しろと言いたいところだが、確かに何の告知もしなかったおれが悪い。すまん。

― ― ―

②代書屋ゴンドウ

○結果:二次選考通過。

○正直に言うと、嬉しいというより安堵した。これは自分の中でズルに近い行為というか、素人が小説ガチ勢と渡り合うための飛び道具のような扱いだった。それだけに、これが通らなかったらもう無理だなと思っていた。

○これはいわゆる”お仕事もの”に当たる作品だ。初参戦の身ではあるが過去大賞のバックナンバーを読んでいたおれは、お仕事ものや特殊なジャンルものといった、その業界に通じていないと書けない作品が今大賞では高評価を得やすい傾向にあると踏んでいた。
下衆いこと極まりないメタ読みだし、作品世界の独創性や表現力といった小説家本来の力で勝負するわけでもないから非常に後ろめたさがある。それでも素人の分際で勝負に挑む以上、またルールで認められている以上は、使えそうな武器は一切合切用いるべきだ。出し惜しみしている場合じゃない。
ならば、おれの手持ちの知識でお仕事ものを書けないか。そういう考えでこの作品を書いてみた。

○三時間程度であっさり書けた。世間一般に知られていない法律の情報をわかりやすく圧縮するのは大変だったが、それ以外に特にキツい思いはしなかった。極論を言えば小説を書いたという実感すら怪しい。元から自分の中にごろんと転がっていたモノをそのまま出した感じだ。それでも読み手の方々にはこれが一番ウケている。
当落の結果といい読み手の評価といい、この辺りの現象は「老いたる女神を穿つべし」とあまりにも真逆で面白い。書き手の苦労と読み手の評価は必ずしも一致しないという事、書き手のR.E.A.Lがうまく出力できるといかに読み物として強いのかという事を教えてもらった。

○特筆すべき事があるとすれば、語り口とタイトルだと思う。
まず語り口について、ガラが悪いというか多分にハードボイルドなものになった。これは狙って書いたものではなく、単にこういうのが好きだからこうなったというだけの話だ。それでいて過去大賞のお仕事ものにはこういうテイストのものが中々見当たらない。
おれはそういうのが読みたいのに何で誰も書いてねえんだ、だったら自分で書くしかねえな。そう思いながら書いた。割とスラスラ書けたのはこの辺りも大きいと思う。


救えねえまでの素人トーシロだが、その素人にメシを食わせてもらってる俺は更に救えねえ。
閑静なロケーションに釣られた結果が初手から詰みのこの状況。ヒスりてえのはこっちだ糞が。

特にこの辺りはノリノリで書いていた。自分でも笑ってしまうほどの口の悪さだが、やはりお気に入りの言い回しだ。ルサンチマンと見られるのではないかと心配だったが、たぶん問題はないのだろう(と思いたい)。

○タイトルについて、これは何年か前にふっと頭に湧いてきた単語だった。
あーこれ良いな、士業なのに”代書屋”って呼び方がカタギっぽくなくておれの好みだし、”ゴンドウ”ってのも泥臭さと油断ならない雰囲気が良い感じに出ているな。濁点が多くて響きが良いし、語呂も良いから声に出しやすい。なんかこういう小説ありそうだな。
そう思ったものの、おれには小説なんて書けないしなあとお蔵入りになった。それから数年を経て今回お仕事ものを書くにあたり、忘れていたこのワードが頭に浮かんだのでこの機に日の目を見る事となった。つくづく人生は何が起きるかわからない。

○以上、某所でタイトルをお褒め頂いたのでアンサーとして記す。
お望月さん、ありがとうございます。

― ― ―

③アンジー・ラナウェイ・オーヴァドライヴ

○結果:二次選考通過。

○これが通ったのは本当に嬉しかった。二次選考マガジンをスクロールしていってこれが見えた瞬間思わず叫んだ。

○これは完全におれの偏見だが、お仕事ものを書ける書き手はその分本来のパルプ的な作品を不得手としている印象がある。パルプの定義は各人が決めるものだから”本来の”という表現はおかしいが、要はこの界隈で広くパルプだと認知されている作風、不正確を承知で言えば破天荒さや勢いのあるラノベ的な作品だ。
お仕事ものはまあまあだったが他作品を見るにやはり一般人お客さん。そういう認識をパルプスリンガー(パルプ小説の書き手)の先輩方に持たれないためにも、当落は別にして本気でおれなりのパルプを仕上げる必要がある。そういう思いで書いたのがこの作品だった。

ライナーノーツでも散々語ったが、書くにあたってチバユウスケのナンバーを何十回となく聴き込んだ。
「老いたる女神を穿つべし」を書くことで得られた、物語のドライヴやスピード感、そして書き手のR.E.A.Lを余すことなく文章に宿しきらなければ勝てないという教訓。それを実践すべく、敬愛するロックアーティストの曲からインスピレーションを得てイメージを掘り下げようと考えた。小説素人による必死の拳法カラテだったが、なんとか通用したと思って良いのだろう。

○内容もそうだがタイトルも難産だった。チバユウスケの曲タイトルのように、カッコ良くて迫力に満ちたカタカナ造語を生み出そうと四苦八苦した。
最終的に、現タイトルと以下の二タイトルが候補に上がった。

■アンジー・ローリン・ネクストヘヴン
■ゴーホーム・アンジー・ラストヘヴン

作品の内容に忠実なのは上記の二タイトルだが、どうにも迫力に欠けているような気がした。作品内容に忠実ではないかもしれないが、語呂の良さと得体の知れなさがある分「アンジー・ラナウェイ・オーヴァドライヴ」の方が優れていると思ったのでこちらを採用した。
最悪タイトルと話が繋がっていないと言われても、自分でカッコ良いと信じきれる方が結果を問わず後悔しないで済むと思った。結果として選考を通過しているが、それを度外視してもやはりこのタイトルで良かったと言い切れる。今となってはお気に入りの造語だ。

○二次選考発表直前、朽尾明核さんという方がピックアップ記事でこの作品を紹介してくれた。ご自身も初参戦にして応募作三作とも二次選考通過を果たしたモンスター級の書き手だ。

曰く、見せ場の映像が明確に脳内で再生されたとのこと。
嬉しい限りだ。大変にありがとうございます。

○朽尾さんのピックアップを読んでいて思った事がある。
それは、映画をよく観ている人ほどこの作品を楽しめているのではないかという事だ。それこそ書いた本人より鮮明に映像化されているのだろうと思うが、当のおれは映画をあまり嗜まない。そもそも見せ場のシーン自体、冷静に読み返すとただの一行しか書いていない。多分に読み手の脳内補完力に支えられている作品だと思う。

○二本書いて周りのハイレベルさを肌で知って、自己嫌悪にまみれながらもなお書き上げたのがこの作品だった。
書き上げた時点でおれにとっては勲章だったが、それが通ったのは本当に嬉しい。たとえ二次選考通過作中最下位だったとしても構わない。本当にありがとうございます。


○その上で、二次選考通過よりも更に栄誉に思う事がある。三作品すべてTwitterやピックアップ記事で紹介いただいた事だ。
小説執筆の経験もなければ界隈の知名度もゼロという有様で今回初めて参戦したが、書いた三作すべてが誰かの心に刺さってくれた。綺麗事でもなんでもなく、おれにとってはこれが一番のいさおしだ。
面白く読んでいただけて何よりです。読んでいただいた皆様、大変にありがとうございます。

― ― ―

④おわりに

○以上のように、三本中二本が通った。

○こういう言い方はおかしいかも知れないが、自分の中ではライバル達に競り勝つというより手土産を持っていこうという意識の方が強かったように思う。
ブッ飛んだエンタメ小説であるパルプのコンテスト、そこにエッセイ屋の自分が参戦する事の場違いさは重々承知していた。だが、だからこそ冷やかしや思い出作りで終わるのではなく、界隈の先輩方にも楽しんでもらえる作品をお出ししたい。そういうモチベーションのもとに書いていた。

○素人の分際で二次選考を二本も通過できたのは快挙と言って良いと思う。だが所詮は途中経過だ。おそらくこの二本も最終的には賞レースの荒野に屍を晒すだろう。
それに、二次選考を通ろうが通るまいが、よしんば最終選考に残ろうが、どこまで行ってもおれは小説の素人なのだなと現在進行形で思い知らされている。その事は前々から自覚していたつもりだったが、パルプスリンガーが集い合うDiscord「BARメヒコ」に足を運ぶようになってからその思いは強まる一方だ。
長らく創作に打ち込んで来た先輩方は、既に書き手としての分析眼と作品を批評することばを獲得している。そのどちらも持ち合わせていないおれは只々沈黙するしかない。たまに発言したくなるときもあるが、その度己の無知をさらけ出して大恥をかいている。それでもきちんと返信やアドバイスをして下さる先輩方には頭が上がらない。大変にありがとうございます。

○パルプを三本書いてみて新しい世界を知る事ができた。それだけでなく、二次選考を通過した事でさらに賞レースをワクワクしながら楽しめている。思いもよらなかったボーナスステージに突入したような気分だ。
なかなかアイデアが浮かばず苦労しているが、また何かパルプを書きたいとは思っている。その時にはよろしくお願いします。



5000文字書いてみて結局ライナーノーツの焼き直しのような内容しか書けなかったが、今回はこれで終わりにしたいと思う。
ここまで読んでいただきありがとうございました。どの作品が優勝したり最終選考に残って逆噴射聡一朗先生のコメントを頂けるのか、今から楽しみです。

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