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創作の営みとネガティブ・ケイパビリティ②

前回の記事ではジョン・キーツの手紙を元に、作家(詩人)とネガティブ・ケイパビリティの関係について触れた。

今回は、もう少し他の作家の意見にも視野を広げて、より分かりやすくなるよう考えてみよう。

ここでは、作家が創作に対して持つ「動機」「態度」「資質」に分けて考えて行く。

それにはまず、彼ら(作家)がなぜ文学を書くのか、という事から確認しなければならない

創作の動機付けや、物事にたいする態度の正体を明かにする事が、やがて文学を紡ぎ続ける資質の問いかけにつながり、ひいてはそれらが総合的にネガティブ・ケイパビリティとの関わることにもなるからである。

①動機

小説家の小川洋子氏は、「なぜ小説を書き続けるのか」という問い対し、次のように考えていると述べている。

人は、生きていくうえで難しい現実をどうやって受け入れていくかということに直面した時に、それをありのままの形では到底受け入れがたいので、自分の心の形に合うように、その人なりに現実を物語化して記憶にしていくという作業を、必ずやっていると思うんです。小説で一人の人間を表現しようとするとき、作家は、その人がそれまで積み重ねてきた記憶を、言葉の形、お話の形で取り出して、再確認するために書いているという気がします。(『生きるとは、自分の物語をつくること』小川洋子・河合隼雄 著/新潮文庫)

現実を生きるというのは、容易いことではない。それぞれの人たちが、自分の人生をアレンジし、自分に合った物語のなかで生きている。

その物語は、時代や社会によってスタンダードとされるものもある。

さしづめ以前までの日本社会で言えば、学歴を得て、よい企業に就職し、結婚して子供を作り、老後は悠々自適・・・といったものがあるだろう。

西洋は西洋風に、日本は日本風に、それぞれの時代の価値観で作られた、最大公約数的な生き方のモデルが存在する。

その生き方の物語にすんなりと乗れる者もいれば、悪戦苦闘を強いられるものもあり、最後まで乗りこなせない者もいる。

特に時代の物語に乗りきれない者は、生きる方向に彷徨い、ある者はそのまま淘汰され、あるものは自ら物語を作り出して前に進むだろう。

作家が物語を作るのは、現実の中では実現が難しい、しかし可能性のある新たな生き方を、物語の形で描こうとしているからではなかろうか。

上記同書での河合隼雄の指摘は鋭い。

引用が長くなるので要約すると、西洋のような一神教の文化が強い世界では、神が作った物語を人間は生きなければならない。人間自ら物語を作ることは、涜神的という事で非難の対象だった時代があった。多神教の日本ではそこまで強い縛りはなかったので、いろいろな立場の人々が自分の物語を作ることができた。しかし例えば平安時代に女性が物語を作ったのは、時代のスタンダードが男性のための物語であったためで、ほとんどの女性は、その物語を生きることは出来ないかった。だからこそ、自ら物語を作ったのだという。

時代のスタンダードな物語に取り残されたとき、人は途方にくれる。スタンダードから離れ、時代や社会のなかでの個体性が揺らいだり、喪失したりすることで、苦しみがうまれる。既成の物語に無理に合わせるか、自分の性質に忠実に従い、立ち向かって新しい物語を求めるかで、深い葛藤や悩みを味わうことになる。

そのなかで、自らの物語を作り、自分の身の置き所を見付けられた者は幸いである。それがうまく行かないものは、悲劇的に死ぬか、社会の裏側にひっそりとたたずむしかないのかもしれない。

文学が描こうとしてるのは、こうやって自らの物語を模索して悪戦苦闘する様といえる。

そして作家が物語を作ろうとするそもそもの動機が、時代のスタンダードな物語に対する不満や不信、あるいはそれから拒絶された自分の立場を感じるからだと思われる。

すでにある物語では満足できないため、生きる新たな可能性としての物語を求めずにはいられない。あるいは、既成の物語にたいする不満や疑念を、問いかけようとする。

紫式部が『源氏物語』を書いたのは、現実には存在し得なくとも、せめて創造の上だけでも女性のための物語が必要だったからだ、とも言える。シェイクスピアの物語は、時代のスタンダードと、それに収まりきらない人間の業が衝突する様を描いた悲劇や喜劇だとも言えるのである。

そうした創作の果てに、現状に収まりきらない新たな可能性を問いたいのである。

言い方を変えれば、創作の前提として、作家は社会の規範から自由でなければならないということになる。社会と同一化していては、結果的に社会と同じ物語しか味わえないわけで、改めて作品を作る必要はないわけだ。

ドイツの文豪トーマス・マンは次のように語る。

(前略)吾々は超人間的でまた非人間的な所がなければ、人間的なことに対して妙に遠い没交渉な関係に立っていなければ、その人間的なことを演じたりもてあそんだり、効果を以て表現したりすることはできないし、またてんからそんなことをして見る気にさえもならないわけです。(トーマス・マン著 実吉捷郎訳/『トニオ・クレーゲル』)

キーツのいうところの、「個体性」がない状態とは、いわば社会と離れた関係性を持ち、その束縛から自由である状態ということになる。

ある人は自らの理想を求め、すすんで社会との距離を取ったり、積極的に対立した立場をとろうとして、「自由」な状態に身をおくよう努めるだろうし、またある人は望んでもいないのに、強制的に規範のようなものからはじき出されているのかもしれない。

さしずめ前者は、医師と言う社会的にも安定した職業を放棄して創作活動に入ったジョン・キーツや、なんとなく成り行きの果てに作家となった村上春樹氏のような作家が、その類いと言える。文学の力を信じ、文学に可能性を求めることを生き甲斐とした人々である。

永井荷風は生まれた家柄もよく、財産も就くべき仕事もすでにお膳立てされていたのに、それらを全て捨てて、自ら憧れていた文学の道を選んだ。

有名な大逆事件に衝撃を受けた彼は、その後一層社会に背を向ける姿勢を強め、世間一般の価値観を袖にし続けた。

村上春樹氏の場合、青年期を過ごした時代性もあってか、基本的に社会のシステムに馴染もうとする意識が最初から希薄だったらしい。

闘争心に欠ける自らの性格を自覚していた彼は、世間並に就職することも出来たろうが、どうせなら自分の好きなことをして生きていきたいと、あえて自らジャズ喫茶を経営する道を選ぶ。

借金の返済のため仕事は多忙を極めたが、その合間にも読書することはやめなかったと「職業としての小説家」というエッセイで語っている。

小説家になったのは、ふとした思い付きである日小説をひとつ書くことを思い付いたに過ぎないようだが、その後の成り行きで、結局今日まで小説家として生きることになる。

社会と一線を引いた生き方をしていると同時に、文壇とも交わらない、まったく自分風の書き方で作家生活をスタートさせたためか、村上作品は他に類を見ない独特さがある。

永井荷風や三島由紀夫、あるいは後述の作家達に比べるとずいぶん温度感の低いスタートだが、その冷静さがかえって、既存の価値観に囚われないものの見方に寄与しているのかもしれない。

後者の例のほうはより分かりやすいかもしれない。

川端康成もその一人で、彼は少年時代までにほとんどすべての肉親と死別し、孤児となった。

家族という、社会のなかでももっとも身近な小単位を失ったことになる。以後川端康成は親戚のもとに身を寄せながら、常に回りの人の様子をうかがい、くつろぐことのない習性から逃れられなくなる。

ワガママに振る舞って、時に叱られることがあっても、関係性に傷が付かないような家族的な平穏に、川端康成は憧れにも似た感情をもっていた。

こうした孤児根性のようなものは、川端文学の根底に潜んでいる。年少の頃から読書に耽溺していた康成は、そのまま文学の道へとまっしぐらに進んだ。

吉行淳之介もまた、作家となることに「追い込まれた」といえる小説家である。

少年時代にひどい劣等コンプレックスに苛まれ、自分のダメなところを五十いくつも並べ立てて絶望したという回想もある。

萩原朔太郎の随筆によって、文学について眼を開かされると同時に、自分がもて余していた性質が、詩人となるための特性としてそのまま語られていることに大いに救われたという。

吉行淳之介は、そのまま文学者(この場合詩人だが)になろうとは思わなかったそうだが、その分野において、自分の居場所を見付けたことが大いに生きる力になったようだ。

以後彼は、戦中戦後と荒れた世相のなかで日々を過ごしながら、自分の感受性と世間の規範や常識とのずれの狭間で、しばしば衝突し、時に受け流し、時にはひどく傷つきながら、その捌け口として細々と創作を続けていた。

その他、ハンセン病のため社会から隔絶した生活を強いられた北條民雄や、西洋文化の根本であるキリスト教と日本社会の文化の狭間で矛盾を抱えざるを得なかった遠藤周作など、数え上げればきりがない。

彼らにしてみれば、特別文学活動をしなくとも、社会のスタンダードを生きられるものならその方が良かったと考える場合もあったろう。

前述の吉行淳之介は、かつて強く惹かれた文章として、次のような意味の一節を回想する。

「人間には、芸術に無縁の人種と、芸術によってしか生きてゆけぬ人種とある。前者は決して悩まず、うしろを振返ってみることなく、ダイヤモンドのように頑丈な心を持った人たちである。後者は、そういう人種を軽蔑すると同時に、そういう人種になりたいあこがれを持っている人たちだ。しかしいくらあこがれても決してそのようにはなれず、ぶつかり合えば傷つくのは必ず後者であるが、傷つくことを最後には芸術のための肥料にする強靭さは持っている」(吉行淳之介/『私の文学放浪』)

芸術に無縁の人とは、すなわちスタンダードな物語のなかですでに居場所を得ている人の事である。彼らは依って立つ物語の頑丈さゆえに、深くものを考える必要がない。

出来るものなら、自分もそうした安定した精神状態でいたいと思うのは、別段不思議ではない。それだけ社会規範のなかに「個体性」を見つけられないということは、辛く苦しいものだからだ。

その苦しみに耐えられず、創作を放棄したとしても、それはそれでかまわない。その結果、スタンダードな物語と折り合いがつくようならば、それは結構なことだからだ。

だがどうしてもそれが出来ない者にとっては、文学(芸術)が最後の砦でもありうる。こうして、社会のなかで自らの個体性(アイデンティティ)を喪失したところから、自分なりの物語作りの模索、この場合では文学への道のりが始まるのである。

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