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【経済】ゆとり世代は失われた時を生きてきた

30歳くらいの人たちは教育が「ゆとり教育」だったこともあって「ゆとり世代」などと揶揄されている。考えてみると、私も含めたゆとり世代の人は、生まれてこの方「景気がよい」状態を知らない。

経済を動かすのは、国の政府ではなくひとりひとりの個人である。経済規模を示すGDPの内訳をみても、個人の消費が半分以上を占めている。
でも、その個人が消費をしようとしていないから、日本経済は「失われた30年」なんて呼ばれてしまうほど経済が落ち込んでしまった。

言ってしまえば、いま30歳前後のゆとり世代の人たちは物心ついたころから「失われた時」を生きてきたのだ。それだけに、経済の見通しが暗いのは当然でもある。

モノの値段は上がらないし、給料は増えないし、経済は成長しないので、景気は常に上向かない。
みんながお金を使えば経済は好転すると理屈ではわかっていても、それでも「最初の一歩」をだれが踏み出すのかを周りで見ながら、そしてお金を積極的に使うこともなく、安いものを買い続ける。

そうして経済情勢が良くなることもなく、真綿で首を絞めるかのように、徐々に徐々に私たちの生活は悪くなっていっている。そして、こんな状態がずっと続くのが「ふつう」だと思ってしまっているところがある。
どうだろう、我々ゆとり世代の経済の認識は、だいたいこんな感じなのではないか。

私たちはなぜお金を使わないのか。
簡単な話で、お金が手元にあまりないからである。お金があるときには「ちょっとご褒美に」なんてお菓子を買ってみたりするけれども、お金がないときには節制するのが普通だ。

私も少しお金がなかった時期があった。昼ご飯は13時半以降に突然50円になるおにぎりを目指して、職場近くの謎のショップに向かって3つのおにぎりを買っていたものだ。当時は「せめて、500円以上の昼飯を毎日食えるくらい豊かになりたい」と本気で思っていた。手元にお金もないし、将来金を稼げるビジョンもないなら、お金を使おうなんて思うことはない。

お金が手元にないのは、日本経済が低調であるうえ、税金が高いからである。私たちが失われたときを生き続けないようにするためには、日本経済の復調と税負担の低減がまずは必要だ。

そのお膳立てをすることが政府には求められているが、政府は増税と社会保障費の負担を増やしている。実際、この負担を示す「国民負担率」という指標はおよそ50%程度だ。
半分持っていかれてしまえば当然人々は消費をしようなどとは思うまい。

このように消費を活発にしないゆとり世代を見て「現代の若者は心の豊かさを求めている」「さとり世代だ」などと指摘する”有識者”がいる。
これは極めて間抜けな指摘の最たるものであり、私たちは他でもなくモノの豊かさを求めている。
食べ物は腹一杯食べたいし、酒だって飲みたい日もある。修行僧ではあるまいしモノが豊かになったうえではじめて心の豊かさは得られる。

まともに成長する経済を失い続け、そのうえ税負担まで高まる現状で、わたしたちが消費を手控えていることについて「心の豊かさを求めている」と結論づけるような連中は、言葉を選ばずにいえば頭が悪い。ただただ成長を失いゆく年月を日本経済が浪費していくことを問題視するのなら、まずもって増税をはじめとした国民負担の増加など論外である。

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