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【経済】大企業は不満の共同体なのかも

中小企業であれば一人一人が頑張っていないと会社がすぐにダメになってしまうものだが、大企業であれば多少仕事をさぼっても、どうにかなってしまうものである。
人間は贅沢なもので、大企業にいる連中で不真面目なやつほど、仕事をさぼる割に会社に対して文句を言うものだ。こういうわがままなやつや仕事をさぼるやつを見ている真面目な人は「いったいなぜこうも頑張っているのだろう」と空しさが募る。
真面目にやっている人も周りを見て不満を募らせていき、会社全体の士気が下がる――なんてことはよくある。

こう考えてみると、実は大企業とは「不満の共同体」なのではないか。
2:6:2の法則というものがある。パフォーマンスが良い人が2割、普通のひとが6割、ダメな人が2割いるという集団に関する考え方だ。
そもそも会社にマッチしていない人間ややる気がなくわがままな人間がいて、普通の人がいて、そしてそれ以外の少人数の頑張り屋さんが会社組織を支えているというのが常である。
だが大概は年功序列なので頑張りは正当に評価されない。わがままを言っている奴のほうがやりたい仕事をやっている…なんてこともあるし、往々にして頑張り屋さんは割を食いつづける。
労働意欲が下がって一人一人が不満を抱えるようになると、今度は売り上げの減少にも響いてきたりして、給料が上がらなくなる。すると再び社員は不満を募らせていき、そしてそのうちにやめる(しかも頑張り屋さんから)。

「社会主義」とか「共産主義」という考え方がある。
これはざっくり言えば、貧富の格差があるのは問題であり、あらゆるものを国が所有・管理をし、人々を均一・平等に生きさせる考え方だ(ついでに、暴力を認めているので金持ちや知識人は片っ端から殺される)。
個人が何かモノを持つということが許されないうえ、働いた成果は国のものであり個人のものではない。当然、いくら頑張っても報われない社会が実現する。いわば「頑張り屋さんが割を食いつづける」社会である。

どうだろう、日本の大企業とは社会主義の国に近いということがわかるだろうか。みんなの労働意欲を押し下げる仕組みがすっかり定着している。

わがままな連中や仕事をしない連中は、大企業にいる限り適当に飯は食える(と勘違いしている)。となると、頑張り屋さんのほうの意識というのが結構大事になる。

大概頑張り屋さんは人が良かったり公への思いが強かったりするのだが、個人的にはもっともっと利己的であるべきだと思う。つまり、できない人間と自分とを比べてやる気をそがれるのではなく、自身の成長、成果の達成、給与の上昇、人脈の開拓といったものに対して、貪欲であるべきだ。

会社がその頑張りをわからないのであれば、つけた実力をもとに独立自尊の人として立てばいい。仕事をやめたっていいし自分で会社を作ったっていいのだ。サラリーマンだけが人生ではない。

そういう人が増えていけば大企業はそのうち困っていくし、そしてわがままだったり仕事をしなかったりする実力のない人間は同様に困っていくことになる。いま、この瞬間報われぬ一人であったとしても、自らの二本足で立つ決意を持ちながら研鑽を続ければ、必ずや力をつけたもののほうが強い。

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