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ボトルキープで偽名を書き、その後どんな名前にしたか忘れる父のちょっとした一言が引っ掛かった件

年末年始で、実家で家族がそろうという奇跡が起きた。

父、母、姉、そして私の4人はいずれも、驚くほど異なった方向を見て人生を歩んでいる。そもそも家族で一緒に食事をとると言うこともあまりなく、世に言う「個食」は割と中学生くらいの時から当たり前だったので、成長してもなお一家団欒の食事を囲んでいる家庭の様子というのは、私にとっては驚きであった。
一事が万事そんな調子で、「家族」という社会的鋳型に一応ははめられた状態ではありながらもおよそ家族としてのまとまりはなく、それだけに家族がそろう瞬間は数えるほどしかなかったように思う。

母はラジオのように延々口が回るのだが、父は何かを話したそうにはしているものの「最近はどうだ」とかそんな調子の話しかせずにどこかに行ってしまう。それだけに父からあまり話を聞いたことはなかったのだが、お屠蘇気分も手伝って酒が入った父は珍しく自分の話を色々としてくれた。

とはいえ、普通の父親がしてくれるような教養じみた話や、人生の教訓に満ちた話を私の父が滔々とすることはない。
具体例を挙げると、人生で初めて「ボトルキープ」なるものをしてみたが、遊び心が勝り偽名を使った結果、どの店でどのような名前でボトルキープをしたのかを失念しせっかくキープした酒を飲めなくなったとか、以前四国のお遍路にいったときに朝方に納経(御朱印)をしてもらおうとしたらなぜか坊さんにゴネられてなかなかしてもらえなかったとか、挙げ句の果てには街の人から果物や菓子をもらういわゆる「お接待」を一切受けずにお遍路を終了したとか、だいたいがそんな話である。

個人的に印象に残ったのが父の仕事の話である。父は道路や学校などの作業員をしていたらしいのだが、その際に「勤務時間8時間のうち4時間くらいは何もしていなかった」という。
私も恥ずかしながら仕事中に睡魔が襲い、記者の自由を謳歌して惰眠をむさぼった結果、短針が4~5つほど進んでいた経験を持っており、やはり血は争えないのだと痛感した。父の仕事は雨が降った日なんかは特に怠惰を極めており、道路の側溝の落ち葉を掃除したあと車内で同僚とダラダラしてお仕舞いだったという。

かつて経済的な繁栄を享受した日本人は「24時間戦えますか」「亭主元気で留守がいい」などといったキャッチコピーで知られるほど猛烈に働くサラリーマンが多かったイメージがあるものだ。ただ最も近い存在のひとりである父親が(幾分の誇張こそあれ)ゆとり世代も驚くほどの怠惰な仕事ぶりでウン十年もの労働者としての時間をやり過ごしたわけで、イメージと実態の乖離とはどこにでもあるものなのだと痛感する。

そんな父親なのだが、その仕事の話をしているときにふとぼそっと「楽でも意志なく何十年も同じようにやり続けて、人生にとって何か意味があるのかとは思った」とこぼした。
私自身、家族ができたなかでついつい「家族のために」と思って目の前の仕事を一生懸命やること「だけ」に意識が向くことがある。もちろん仕事を懸命にやることは大事なのだが、かたや己の人生をどのように作っていくのかを考えることは怠ってはならないと思っている。それだけに父親のそのつぶやきが、耳に残ったのだろう。

仕事や家庭に時間を費やした日々が、振り返れば空虚な影のようなものだったという人生は、私は歩みたくないと思う。
父親が己の人生をどう捉えているかはよくわからないけれども、社会人8年目を終えんとする私が社会人生活を振り返ったとき、一体全体どのような感慨を抱くのか、または抱かないのか。
未来に振り返った自分が「こうしていれば…」と後悔しないような人生を歩むべく、向き合うべきは改めて己自身の内部にうずく意志なのであろう。

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