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心地よく生きるなら自分を知るって大事だよねって話

高校のころ、世界史の先生から「毎年合格体験記とかみんなこれ見よがしに書いてるけど、実際不合格体験記のほうが役に立つよ」と言っていたことがあった。成功体験など別に人それぞれだから、むしろ「これだけはだめだ」という失敗ケースを避けることのほうが重要だと説明してくれたのをよく覚えている。

今思うと、確かにそうかもしれない、という思いがする。先日、個人で塾を経営している方と話す機会があった。長らく教育に携わっているなかで様々な経験を伺うのは実に興味深かったのだが、ぽろっと「自分の受けた教育が正解だと思って子供に押しつけると、大体子供の学力は伸びない」ということをいっていた。

人間、だれしも努力をして失敗したりうまくいったりする経験があると、自分なりの「勝ちパターン」がわかるものだ。それが生き方そのものではあるのだが、だんだんとそれが普遍的なもののように思いこんでしまう。そして人にも「こんな風にするとうまくいくよ」と言ってしまうことは多い。でも、なかなかうまくいかないまま、だれが責任を取るわけでもなく目の前の人が失敗することは珍しくない。

これは社員教育も同じだ。厳しい教育で上がってきた人は当然厳しい教育をするわけだが、人によってひととなりも事情も異なる。ならばその個人にあった教育が望ましいはずであって、さらにいえば個々人が「自分にあった会社」を勝手に選び取ることが大事だ。
たとえば、社風として明らかにタフな教育をする会社だと分かっていて気弱な人間が入社し文句を言い出した場合、むしろ気弱な人間の方に非があるわけだし、逆にぬるま湯のような会社に成長意欲が異様に高い人間が入って文句を言うのも同じように成長意欲が異様に高い人間が悪い(まあやる気ある人は文句を言わないことも多いが)。
多様性が慮られる時代とは言っても、やはり組織にはそれなりに個性が出る。自分に合った環境、または方法を選ぶことは大事なことである。

だとすれば、自分自身が何者であるかということを考えていないと、自分に合わせた環境や方法を選ぶことはおぼつかない。
何か仕事や日常につらさを抱えたとき、一体己は何を欲していて、どういう癖があって、人間としてどういう気質なのかを俯瞰して考えることが必要になるのではあるまいか。外に答えを求めるのではなく、自己内部にきっとその「つらさ」の原因のヒントがあるのだろう。

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