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コンテンツは「上滑り」している

ネットフリックスやアマゾンプライムといったコンテンツ産業がいまや隆盛である。
ユーザーからすれば死ぬほどたくさんの作品を見ることができるという利点はあるわけだが、かたや作品を作る側からすれば、死ぬほど作品を作らないといけないということでもある。
そして、いわゆる月額課金の「サブスクリプション」モデルが多いので、作っても作っても別にユーザーが金をたくさん出すわけでもなく、コンテンツの産業は徐々に薄利多売の世界になっていく。
結局、作品を作る側は収益獲得が大変になるので、立場が弱くなっていく。

これは情報を扱う立場でも同じだ。ニュースなどの情報は新聞のようにサブスクリプションモデルをメインとするものもあるが、テレビやインターネットの多くは広告を流すことでユーザーには無料でニュースを流している。世の中に大量の情報があふれているので、ユーザーはこれといった負担もなく情報を得ることができ、かたや情報をつかんで発信する側は収益獲得が大変になるので、立場が弱くなっていく。

情報があふれると、あまり情報が吟味されなくなっていく。見出しに飛びついたり、中身をしっかりと読んだり、事実確認をしたりといった情報を取り扱う上での基本的な動作を怠る。
結果、情報が上滑りしてしまうような状況に至る。

映画で「トゥルーマン・ショー」という傑作がある。作品のつくり自体も秀逸ではあるのだが、個人的にはトゥルーマン・ショーで最も注目すべきは主人公のトゥルーマンが「世界」から脱出したあとに、あれほどトゥルーマン・ショーに熱狂していた視聴者が途端にチャンネルを変えて別の面白い番組を探し始める、という最後のシーンだと思う。

まさに、あんなふうにいま情報やコンテンツは”消費”されている。一時的に人をにぎやかにして話題になっても、数日すれば誰も覚えていない。

こんな風にものごとが消費されるいまだからこそ、一つの良質なコンテンツや情報に謙虚にまっすぐと向き合うことが大事なのではないか。情報を発信する/コンテンツを作る側の立場からすれば、それはすなわち「良質なもの」「本物」しか相手にされなくなるということでもある。

いかさまやウソが許されず本物だけが求められる世界より、一部の人はウソでもいかさまでも金になるほうがいいと考える。
理由は簡単で、商売になりやすいからだ。

こういう連中はごまんといるから、コンテンツや情報に接する側の人たちが傑作や本物を求め続けて、取るに足らないものにいちいち反応しなくなるような賢さが必要になる。
情報にせよコンテンツにせよ、それらを享受する側のリテラシーという「審美眼」のようなものが今ほど問われる時代はない。

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