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"引き算の美"の具現化 『Leica M(typ262)』


[ less is more ]の精神

ライカが念頭に置く哲学。
「少ないほうが豊かである」なんだか禅問答のような提唱だが…。

カメラメーカーに限定した話ではなく、技術開発や製品開発においては「多機能、高性能のほうが売れる」という前提があり、新しいもの即ち旧世代機よりも高性能であるという思考回路のもと市場は形成されているように思う。
実際、そのほうが消費者としてもわかりやすいのである。
「あれもできる、これもできる」のほうが聞こえが良く、ないよりあったほうがいいだろうの精神で工業製品は進化し、発展してきたように感じる。

ライカのデジタルカメラの歴史をみていくと、あるところで方向転換を行い、そこからは発展よりむしろ成熟に向かっていくような開発になっているのがわかる。

M8からM10に至る道程

ざっとスペックのみを振り返ると、
M8 : APS-Hのコダック社製CCDセンサー。1010万画素。ライブビュー不可。動画撮影不可。
M9 : フルサイズのコダック社CCDセンサー。1800万画素。ライブビュー不可。動画撮影不可。
M(typ240) : ライカ初のフルサイズCMOSセンサー、2400万画素。ライブビュー可。動画撮影可。
M(typ262) : M(typ240)と同等のセンサー、かつライブビュー不可、動画撮影不可。
M-D(typ262) : M(typ262)と基本性能は等しい。が、液晶画面がない。
M10 : 新開発フルサイズCMOSセンサーで2400万画素。ライブビュー可。動画撮影不可。
M10-R : M10高画素版。4000万画素。ライブビュー可。動画撮影不可。
M10-D : M10と基本性能は等しい。が、液晶画面がない。
(あえてM11は比較から省く。)

派生モデルは追いきれないためあくまでもレギュラーモデルのみのざっくりとした比較になるが、M8からM9でセンサーの大型化&高画素化を達成し、M(typ240)で大幅な刷新が成されていることに気づく。
動画も撮れて、ライブビューもできるレンジファインダー機。
背面液晶の性能も見違えるほど向上し、ライブビューではレンジファインダーでは不可能だった近接撮影すらも可能にした。
当時のライカとしても多機能な新モデルとして開発に力を入れていたのだろうと思うが、その後に出たM(typ262)で、せっかく新規で取り入れた機能をあっさりと排除してしまっている。あまつさえ次期モデルのM-D(typ262)ではデジタルカメラにあって当然の液晶画面まで取り払ってしまったのである。

なぜ敢えて、機能を削いだモデルを出すのか。
これこそが、ライカの面白いところだと思う。

M(typ262) と Leitz Hektor 5cm f2.5


M型というカメラの機能的充足

「M型使う人って写真が撮りたくて使うんでしょ?」
「動画撮るなら別のカメラでもいい。あえて手ぶれ補正非搭載、マニュアルフォーカスのみのM型を動画機にする必要はない。」

ユーザーの声を反映させて作ったのが、写真専用機のM(typ262)であるというのが通説であるが、もう一つの理由として「技術の成熟」も挙げられるのではないか…と、一ライカファンとして勝手に解釈している。

M(typ240)で当時のM型ライカでできることをすべてやり尽くしてしまったライカは、新モデルの開発として機能のオミットを選択したのである。
厳密に言えばLeica M Edition60という限定モデルで初めて”液晶のないデジタルカメラ”を発表し、世間の反応を伺いつつ、「引き算」の哲学をレギュラーモデルに取り入れる潮流を作ったのではないか、とも考えられる。

『完璧がついに達成されるのは、
何も加えるものがなくなったときではなく、
何も削るものがなくなったときである』

サン=テグジュペリ

やれることは全てやった。
ここからはよりライカらしい、ライカしか作れないようなカメラを作ってやろうじゃないか。
そういう気概を感じるカメラ、それがM(typ262)なのである。

M(typ262) と Leitz Elmar 3.5cm f3.5

こいつをもっともっと尖らせた修行僧のような(笑)カメラであるM-D(typ262)も、本当に魅力的なカメラ。
「ライブビュー使わなくて動画撮らないなら液晶いらないよね。光学ファインダーとシャッタースピードダイヤルあるんだから、これでも写真は撮れるよね。撮った写真をすぐに確認する必要もないよね。」
で、本当に液晶レスにしちゃうライカの挑戦は尊敬に値する。

利便性を排除した先にある豊かさ。というか、そもそもライカを使う人って利便性なんてこれっぽっちも求めていないわけで、撮影体験の特別さだったり、物としての質の高さを味わうがために、わざわざ高いライカを選んでいるのだと思う。

こうした不便を愛でる風習は、「不便を感じさせない便利な物」があるからこそ感じ得るものである。このことを忘れてはいけない。
ここ数年で普及したスマートフォンのカメラだって、元をたどれば同じ「写真を撮るもの」として開発されているものであり、ライカが目指す所と着地点が違うだけで本質は同じものである。

M(typ262) / Nikkor-S 5cm f1.4


M(typ262)という潔いカメラ

書いているうちに結局何を書きたかったのか忘れしまった(笑)が、とにかくM(typ262)は私にとって素晴らしい相棒である。
「レンジファインダーで撮影でき、フルサイズでライカオールドレンズを楽しめる機種」を探していた私にとっては全く不足のないスペックで、これを手にしたことによりほかのカメラに全く目移りしなくなった。(EPSON R-D1s は別枠だが…)

M(typ262) / Leitz Hektor 7.3cm f1.9

M型デジタルの面白さの一つに、それぞれのモデルに熱烈なファンが居ることがあげられる。
M8, M9, M(typ240), M10, M11
大まかにこの5世代に分けられるが、それぞれのセンサーが出してくる色味は見比べると結構異なる。同一条件で撮影比較したわけではないが、個人的に最も好きな色味を出してくるのはやはりM(typ240)なのだ。
コントラスト低めの、翳りを感じさせる色合い、空気感がなんとも言えない。どのM型もライカによるチューニングが入っているので、RAWで現像すればどの機種で撮ろうが一緒だという方もいるが、言語化できないちょっとしたニュアンスの違いは確かにあると感じてしまう。

M(typ262) / Leitz Hektor 5cm f2.5

最もオールドレンズと相性がいいカメラ、だと思う。
M11(現行機種)を触らせてもらって、持ち前のオールドレンズをマウントして使ったことがあった。しかし、M(typ262)で撮った写真と見比べてもあまり感動が湧いてこなかったのである。
M11に比べ低画素なM(typ262)のほうが、情緒のある写真に仕上がりやすいのか…?M11の画素数変更機能で低画素モードを選択して撮れば私好みな写真が撮れるのか…?
うーむ。よくわからない。結局は気持ちの問題だと思う。(笑)

M(typ262) / Leitz Summarit 5cm f1.5

デジタルカメラの怖いところに、部品払底による修理不能がある。
メーカーだって新製品がどんどん出てくる中、過去の機種の面倒をずっと見る訳にも行かない。ある程度は修理にも対応しつつ、新しいものを売り、古いものには見切りをつけていくことも当たり前ながら大切だと思う。

フィルムカメラのように数十年も愛用するということは、残念ながらライカデジタル機では難しいかもしれない。
でも、壊れるまでは(というより壊さないように!)、オーナーとして大切に扱っていきたいと思う。

”M型”という特異なカメラ。
その魅力に感じ入りながら…。

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