燈幸
好きなことを好きって言う。
天石未来と藍川翼、その周辺の人々のお話。時間列は考慮されていません。日常系。
菊崎知冬と桜井海音の話。小説家になろうやTwitterからの転載。出掛け先での体験をネタにしています。
noteで上げてる小説とも言えないような超短編で続編のないものの寄せ集め。 身近にある食べ物の成分表記すら読み尽くしても読み足りないようなときにでもどうぞ。 独白的な何か。 水槽の中の人魚。 境界線。 天気に嫌われてる二人。 米津玄師「死神」をネタにした話。 米津玄師「駄菓子屋商売」をネタにした話。 「死神」のおまけみたいなもの。 死
移りゆく空の色を酒とともに数えている。
見終わった瞬間に感想と言える一言がすぐに浮かんだ。 これは「仕事讃歌」だなあ。 どれほどがネタバレになるか分からないが、以下ネタバレを含む話になる。 どんな仕事にもきれいで正しいところと、汚くつらいところがあると思う。多くの人が上っ面その正しい部分を身にまとって、美しくあろうと振る舞う。汚くつらい部分はできる限り飲み込み、でも飲み込めない人がぽろぽろと溢し、あるいは飲み込みすぎて壊れていく。 登場人物のほとんどがその壊れた経験を持っているか、身近な人が壊れたのを見ている。
随分と間が空いたと思っていたが、今月の最初にかろうじて呟いていた。 書きたいことは多くあり、やりたいことも多大にあり、しかし時間と健康は有限である。今年やると決めていたことをやり逃し続けている。日々に対して常に置いていくなと願い続けている。 そんな日々ではあるが、人生のコンパスのような存在のアーティストが世に出した作品を必死な思いで手に入れたり、部屋を見渡すたびに心が病むため自愛の傍らで狂ったように片付けと掃除をこなした。 心はいまだに散らかりっぱなしだ。ふとした拍子に見
あまりに日々が過ぎるのが早すぎて心がついていけない。置いていかないで欲しい。
「あなたにはわかるはずだ」 どこで聞いたか記憶にないその言葉が繰り返される。 僕よりいっそう生きる理由だとか意味だとか様々なものを抱えている人がいなくなって、じゃあ僕が生きてるのはなんなんだという感情が尽きなくなって、命綱を求めて様々な言葉を漁り、そうして耳に入ってきたのが米津玄師の「カムパネルラ」だった。 何かわかるかもしれないと思って、本棚で「銀河鉄道の夜」を探した。見つけて読み始めたけれど、違うと思った。僕に必要なのはもっと、今この瞬間をやり過ごすための言葉だと。 宮
悲しいと言いつつ不思議とそんなに涙は出ない。たぶん前から予感はしていかたら。 この人が死ぬ頃僕の言葉は届かなくなっているだろうなと、予感していたから。 「どうしてその行動を選択してしまったのか」の答えが延々尽きず、だがその答えは僕自身が持っているものでもあった。だから自分の問いに答え続ける。 世界が真っ暗になったとき、自分の見えるその世界が真実でしかない。いくら誰かからここに光があると言われたって、見えないのだから嘘にしか聞こえない。 過去に光があったことを思い出しても、そ
休めど休めど心がつらい。体がついてこない。数ヶ月そんな調子な気がする。 「毎日僕は僕なりに頑張ってきたのに」なんて曲をお出しされて、その曲調が猫が伸びをひとつして、ご機嫌に歩き出しなにかにじゃれつき、走ったり飛んだりした末に寝床に伸びをしながら戻って、丸く収まって眠りに行くようなもので朝から号泣して。 君がいない世界を1年やり過ごしたよ。今はそんなふうにしか言えない。そんなやり過ごす日々をそのうち愛せるようになるんだろうか。どんなにつらくても君がくれたあらゆるすべてを手放し
不思議だな。 「一周忌」という言葉を知っていて打ち込んだはずなのに、出てきた言葉は一瞬でゲシュタルト崩壊したみたいに頭の中でバラバラになった。一周忌ってなんだろう。何もわからなくなる。 知っている知識が現実を突きつけてくるのを、心が拒絶して全部壊してしまうんだろうか。 正式にはまだ1年経ってはいないんだけども。 一人暮らしを始めてから、ねこのいない生活をしている。だからまあ、普通に暮らしている分にはねこがいなくなったということを実感することはあまりない。それで助かっている
痛み痛みに痛みに痛み。あまりに痛いとき睡眠に逃げてきたせいなのか、眠くなる。眠気というよりどうしても目が閉じたがって、そんな体につられて意識が溶けていくような。
滑らかなノートの紙は僕の語ることの全てを受け止めてくれるし、ブルーブラックの色は僕の心に寄り添ってくれる。 確かなものに思える。思わせてくれるだけ救いである。
忙しい日々と体調不良の日々が繋がった。 家事が間に合わず、生乾きのバスタオルが部屋の物干し竿に連なっていた。うちにあるバスタオルは、そこにかかっているもので全てだ。 一番小さいバスタオルがまだ湿っぽいとはいえ使えそうだったのを確認して、浴室へ。 シャワーを終えてそのタオルに手を伸ばす。たくさんの猫が描かれたその中の一匹と目が合った気がした。 でんと横になった茶トラの猫。なんだか「やれやれ、仕方ないな」みたいな顔をしているような気がした。 そのタオルは、一人暮らしを始めた頃に
冬が好きなのは、良くも悪くも変わらないからなのかもしれない。治りもしないが腐らせることもない。春が近づくのを感じながら、ずたずたな心が腐るのを感じながら。
一人暮らしを始めて数年。この建物のすぐ脇の道路で、毎年冬に誰かがスタックする。ここまでのらりくらりとやっていたが、今年めでたく雪の敗者の仲間入りをした。 だが、どうにか雪を掻き分け独力で脱出し帰宅した。我ながらやればできるものだなんて思う。 そんな異例の年。信じられないくらいにあたたかい冬。雪も氷も剥げた道路を見てさみしく思っていた。 さみしい、とは少し違うかもしれない。一番近い心情として、親の老いを目の当たりにしたときのショックに近い。ショックとは言うものの、「衝撃」のよ
全て進捗ダメです。
もう自分の人生の中に物語を書く余裕みたいな、そういうのは無いんだなと思った。思ったというか気付いた。 多分だけど無くても生きていけるし、それよりやらなきゃいけないこといっぱいあるし、振り返ってみて何も書いてないし書けていないし。 僕の字書き人生終了だな。終わったんだ。 とか思ってたら仕事中なのに泣きそうになった。そんな自分に価値あるか? 他人がなんと言おうとクソも価値が無い。他者から見て自分らしくあるために書くことが必要なのではない。書くことが僕の人生なのだ。 一番書くことに