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ねこの一周忌

不思議だな。
「一周忌」という言葉を知っていて打ち込んだはずなのに、出てきた言葉は一瞬でゲシュタルト崩壊したみたいに頭の中でバラバラになった。一周忌ってなんだろう。何もわからなくなる。

知っている知識が現実を突きつけてくるのを、心が拒絶して全部壊してしまうんだろうか。
正式にはまだ1年経ってはいないんだけども。

一人暮らしを始めてから、ねこのいない生活をしている。だからまあ、普通に暮らしている分にはねこがいなくなったということを実感することはあまりない。それで助かっているのかもしれないけれど、その現実と向き合う機会は減るわけで、結果的に心のほうが何も進歩しないまま時間だけ積み重ねている感覚はある。

時折あの高い鳴き声や、宝石みたいな色違いの目や、抱っこをせがんで伸ばされる手や、抱き上げたときの重さを思い出しては、「でももう二度とあの幸せを抱くことはないんだ」と何度も何度も思い至り、そのたびに寂しく悲しくつらくなる。そんな今と未来が無価値にさえ思える。

この世界の全てが僕を置いてどこかに去ってしまう気がして、もう盛りを過ぎようとしている花に向かって「置いていかないでくれ」と願ったりもした。
でもその花。ライラックはきっと来年も咲いてくれるし、咲いてなくてもライラックの木は一年中そこにいてくれる。いつでも笑っているわけではないというだけだ。

ねこが頭を擦り寄せてくれたり一緒に寝たりしてくれたり、この先そういうことはもう起こらない。

でも俯く僕の頭を風が撫でてくれたり、丸めた僕の背中を藤の香りが包んでくれたり、何もかも嫌になった僕を夕日が盲いてくれる。悪戯みたいなその瞬間を確かに感じたいと思えるから、たぶんまだ大丈夫なんだ。


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