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ひと月

「あなたにはわかるはずだ」
どこで聞いたか記憶にないその言葉が繰り返される。

僕よりいっそう生きる理由だとか意味だとか様々なものを抱えている人がいなくなって、じゃあ僕が生きてるのはなんなんだという感情が尽きなくなって、命綱を求めて様々な言葉を漁り、そうして耳に入ってきたのが米津玄師の「カムパネルラ」だった。
何かわかるかもしれないと思って、本棚で「銀河鉄道の夜」を探した。見つけて読み始めたけれど、違うと思った。僕に必要なのはもっと、今この瞬間をやり過ごすための言葉だと。
宮沢賢治の本の近くに並べてあったのが、現代語訳付きの方丈記だった。僕はこの本を、最初の文を、お守りのようにそばに置いて心に住まわせた。

人の手を渡りながら八百年を超えて現代に伝わった言葉たちは、その強さが納得できるほどに美しく真実を表していた。

落ち着きを取り戻して「カムパネルラ」に舞い戻った。なんだかどれもこれも自分の心情のように聞こえた。

何かを判断するたびにいつも天秤にかけていた。自分の知りえるもの見えるもの。でも見落としていたものもあったのだろうと思う。それも含めても僕にはどうしようもなかった。

わかりたくない。わからない人がいるのなら、そのままわからないままでいてほしい。「あなたにはわからない」という言葉をおくられたのなら、きっとそれは幸運なことなのだと、そう思ってほしい。

どうにも理解してしまうな。僕がまだ生きていられるのは、僕自身の気まぐれでしかないのだという気さえする。


それでもまあいいのだろう。僕はこの今のありのままの僕を、そういうものなのだと受け止めたい。
そうして生きることが僕のできることなのだと思う。寄り添うように憶えていたいと思う。日々が僕を傷つけ壊し汚し犯し苦しめようと、取り返しがつかなくなっていこうと、生きてしまえる。その道を僕はきっと模索する。

本当に僕の言葉は救いになったのだろうか。もうそんな言葉を誰かに向けられても信じられない気がしている。だとしても、最後に僕に向けた言葉としてそれを選んだのなら、嘘でも騙されておこうと思う。




































































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