見出し画像

まるで心臓を握られているような

一人暮らしを始めて数年。この建物のすぐ脇の道路で、毎年冬に誰かがスタックする。ここまでのらりくらりとやっていたが、今年めでたく雪の敗者の仲間入りをした。
だが、どうにか雪を掻き分け独力で脱出し帰宅した。我ながらやればできるものだなんて思う。
そんな異例の年。信じられないくらいにあたたかい冬。雪も氷も剥げた道路を見てさみしく思っていた。

さみしい、とは少し違うかもしれない。一番近い心情として、親の老いを目の当たりにしたときのショックに近い。ショックとは言うものの、「衝撃」のような瞬間的な痛みなどではなく、もっとゆっくり心に染み入って、絶望の縁からからにじみ出たなにかに、音もなく心へヒビを入れられるような。
石やアスファルトに入り込んだ水が凍って、それらを割り砕くような穏やかな失望と言えばいいのか。

とにかくそんな、なんとも言えない物悲しさを感じていた。今年の冬はこのまま終わるのだろうかなんて思ったが、そうでもなかった。またしっかり降って、アスファルトの道路は雪で舗装された。

北海道で生きて雪の厄介さもよく承知している。でもこういうとき、母が本州に住んでいたときに、雪が降って嬉しかったんだと話していたことを思い出す。

きっと心臓を握られているのだ。それは生死を左右する意味で握られている意味もあり、どうしようもなく心が囚われている意味もある。

この土地から離れて暮らすことなどできないのだなあ。そんな確信がこうして強くなっていく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?