自殺率の高い日本の若者へ

『これを読むあなたがどんな人か』

それは僕の想像力では分からない。

けれど、どんな人でどんな人生であろうと、学生時代を過ごした記憶はあるのではないだろうか。

僕はそんな22歳である。



高校か中学で『人生の選択』

を迫られる機会がある。

進学における選択は将来に直結し、取れる資格や免許などで様々な選択肢と、無限の未来を見ることができる…しかし、本当にそうだろうか。

一生の付き合いとなる『職業』

これを決めるのに学生という立場はあまりにも無知すぎる。

僕らが接することのできる世界は

せいぜい親の職業と教職、医師、看護師、飲食業、公共交通機関

この程度だ。

職業体験でも見れる世界は限られている。働く実感と適性などを15〜18の子供に持てというのは無理な話だ。まず社会を知るはずがないからだ。

『将来やりたいことは何?』

教師たちは中学高校の終わりになると呪文のように告げる。

正直分からなかった。

ここで決定を急かされることはあれど待ってくれはしない。半ば強引に言葉尻を捉えながら僕の将来を形作る。

『教育に興味あるの?じゃあ教育学部だね〜  え…?教員になりたいわけじゃない?んーー…       そんなこと言っても、それじゃ飯食えないよ? 教員になるしかないでしょ。なんでもいいから決めないと、受験する学校も対策しなきゃ行けないの分かってる??』

周りが進路を決める中で何かを選ばなければいけない焦燥に追い詰められた。

自分に適したものを選びたい、友達と離れたくない、生きるのに困りたくない、早く決めてこの焦りから解放されたい…

この時の僕が持てる判断基準はこれしかなかった。

結果として僕は教育学部に進学した。

適性などは分からないが、学んでみようという意欲があり、且つ将来の職業に困らないものにしたのだ。

大学生活を始めた僕は、

親元を離れて、部活動をやめ、アルバイトをして働き、性を知り、友との出会いと別れ、お金の使い方、一人暮らしという環境、己の欲望を知ることで『将来』『未来』というものが捉えられた。

やっとこれからの人生を自分の足で歩み進めていく視点が持てたのである。

僕は教員にならずに一般企業へ入社を決めた。

自己の適性は能力だけでなく、生活と収入、キャリアプランも含めて決定したのだ。



僕と同じ世代の人たちへ

僕らは不景気に生まれた。経済問題、テロ、震災、戦争、疫病、外交問題、環境問題、食料問題など事あるごとに暗いニュースを聞かされ育った。

僕らの世代は生まれながらに現実を捉えることを求められている。

決して伸びゆくことのない国内成長に対して、言わば終わりゆく先進国に生まれて、

暗い話題とそれを知るのに十分な情報化社会。

上の世代と比べて楽観視できない現実と将来にある種の絶望を抱いてる。

そんな中で差し迫る大人からの将来選択に対する要求。


絶望に打ちひしがれて日々の生活に身を委ねるのは簡単である。しかし、

『人生は自由だ』

僕らの社会は過渡期を迎えている。

暗い話題だけではない。

実力主義化と終身雇用制度の終わりは働き方に自由を与えている。

LGBTに対する認知は進み、同性婚が容認される社会風潮が多様な価値観を生み出している。

男女の平等のために働き方は見直され、性別を問わずに職業に専念できる環境がある。

情報化社会は世界に発信できる影響力と望む能力を手にする方法を授けてくれている。

新卒がなんだ。ストレート進学、進級がなんだ。ニートが悪いか?コミュ障がどうした?    職歴も無資格も関係ない。

25になろうと30になろうと変わろうと思った者が変われるのが今なんだ。


大人たちは言う。

『最近の若者は〜…』『打たれ弱いくて〜…』       『すぐ逃げる〜…』『将来どうするの…?』

全部上等だ。なんだってうまく生きればいい。

僕らは根性や気合いがどうだとかは信じない。

『悟り世代』なんだ。自分の道も生き方も選べばいい。

若者よ夢を持つことを義務付けられるな。   大人に惑わされて、振り回されるな。     自分の道を探して生きよう。

僕はこんなことを言いたい。

同じ世代に生まれ、これからの未来を共に進んでいくみんなへのメッセージである。


#はたらくってなんだろう

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