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なんのために働くのかという理由は変わる

新卒の頃「よりよい社会を作るために命を燃やせるような仕事がしたいです」と就活でよく話していた。御社の仕事ならそう思えると確信してる、なんて付け加えると面接官受けはとてもよかった。

気づけばもう9年目の中堅ベテラン社員になり、そんな気持ちは全くなくなってしまった。結局私が心底仕事を頑張ったのは最初の2年くらいだった。

今働いている理由は、3つ。1つ目は土日に罪悪感を感じずに思いっきり楽しみたいから。2つ目は自分が欲しいものと大切な人への贈り物を自分のお金で買いたいから。3つ目は、夫との会話の質を担保したいから。

1つ目は結構大切。休職した期間もあったので、仕事をせずに全ての時間を自分のために使えるという状態に一時的になったけど、ずっと休みというのはとても苦痛だった。最初は仕事しなくていいということがただ嬉しかったけど、それが日常になると次第に喜びもなくなるし、罪悪感が上回る。働いてるからこそ、休む権利も堂々と行使できるというものだ。

2つ目の自分のお金が安定的に手に入るというのも大きい。うちは夫婦で別財布で、基本的に自分のものは自分で買う仕組みでもある。(2人で使うものや外食代はほとんど払って貰ってるけど…)自分が飼いたくて飼った猫にかかる費用、夫への誕生日プレゼント、自分の美容代…やっぱりお金が必要だ。

3つ目はひそかに私の中で重視しているポイント。私は夫と話すのが好きだし会話の多い夫婦だと思っている。仕事をしてるからこそ張っているアンテナ、トピックスが少なからずあるし、その切り口で夫とあーだこーだ議論するのが結構好きだ。仕事をしなくなると、夫との会話も減るだろう。自分に自信がなくなり、夫の話を聞くのも嫌になる気がする。夫婦円満のためにも働いていたい。

結局、働いているのは全部自分のため。自分が心地いい休日や人生を過ごしたいから。自分が気持ちよく買い物をしたいから。自分が夫と仲良く過ごしたいから。社会のためという発想はとっくに無くなった。

最近、職場で家族の事情を理由に仕事を休む人が後を絶たない。(子供やペットの体調不良など)毎日誰かが休むことがデフォルトになりつつある。そんな日々に正直疲れてきていたが、別に私は自分が働きたくて働いてるだけだしなと思いとどまる。

よく考えてみれば、仕事は生きるための手段でしかない人が大半だし、私もそうだ。だから、プライベートの方が皆大切で、そちらを優先することに特別な理由はいらないというか、むしろ当たり前の発想なんだと思う。

うちの母も父も、16年くらい一緒に生きてきた家族である犬が亡くなる日(もう今日が山場と分かっていた)に2人とも仕事に行っていた。犬が亡くなる瞬間は私一人だけが傍にいた。あの時はそれが当たり前だと思っていたけど、家族の死に目に会えないような仕事ってどうなんだろうと思う。

今の私なら堂々と休める。私が働いてるのは自分のためであり夫や猫のためだから、それらが脅かされるようなことがあった時は、仕事を休んで他人に迷惑をかけてもいいと思える。職場では自分の代わりはたくさんいるから。

後は、そこの線引きというかバランスなんだろうなと思う。働きたい、働き続けたいという気持ちも事実。プライベートを優先したいという気持ちも事実。働き続けるためには職場での役割を全うしなければいけないのも事実。自分の為にも、そこは履き違えずに絶妙なバランスでこれからも働き続けたいと思う。

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